我想う支援日誌

三つ子の魂、百まで

小さな子供は時に子犬やおもちゃのような錯覚さえしますが、ちゃんとした一人の人間で記憶や人格形成にはとても大切な時期、愛情一杯に育てられた人なら同様にすれば良いし、逆だった人は反面教師として経験を活かせばいい。親になるとはそういう事のようです
法要・遺骨・墓関連

自分の土地以外は墓閉じ必須

近い将来に於いて墓不要が見えたら民法で祭祀継承者が決められてる限り墓閉じすべく動いたほうが費用面でも。精神面でも良いだろう。墓から出した遺骨を別の墓に移転させるには閉じる墓の所在地役所の許可が必要ですが「散骨」と「手元供養」は許可不要です
我想う支援日誌

為せば成る 為さねば成らぬ何事も

強靭な意思を持ってる人なら「ことわざ」そのままで良いだろうが、そうで無ければ考えたら止めたほうが無難だろう。凡人が「このこつわざを達成するのは、考えるより前に走ってた時――、ではないだろうかトリガーは引いてしまってたら走ればいい
我想う支援日誌

家族が来院せず済むケース

病院、施設で逝去の際、逝去後に家族に連絡が入り、家族が駆けつけてから死亡診断する――、この流れは少し考え直す必要があると思う。独居老人が700万世帯を超える今、死亡届出人や最後の面倒を看てくれる人が家族以外親族であるケースがとにかく増えて
我想う支援日誌

人は執着を捨てれば楽に生きられる

この言葉を感覚的に知ったのは学生時代だと思ってましたが、よくよく考えると家業の倒産直前で父親は蒸発、残った家族は市街地から南北に二分して転居、ただ倒産翌日の記憶はありますが、その後の記憶は高校受験まで殆どなくいつ引っ越したのかの記憶もないの...
言葉・ことわざ

後悔の無い人生を生きた人はいない

気付かなかったのか、暗に目を瞑つむってきたのか、ただ突っ張ってきたのか、後悔なる言葉をさほど意識した事はありませんけど、葬儀支援を始めて良くも悪くも様々な人達の言葉を客観的に聞き自分の人生と重ねると『やり直せない後悔の念』ばかり浮かんできま...
言葉・ことわざ

我が店はお客の為にあり

タイトルを見ると「お客様は神様です」みたいな印象を受けるかもしれませんが、お客が神様!?なんて思った事は一度もなく、自身を含めお客の立場なった人間ほど利己的で我儘わがままな存在はいないと思っている。お客様と呼んでる商人は多いけど便宜上使って...
言葉・ことわざ

説得力に欠けると父親の教え

『自由の裏に責任がある事だけは覚えておきなさい』跡取りの孫だったから祖父母から英才教育として受けてた帝王学への反発心、何で俺の人生をお爺ちゃんとお婆ちゃんが決めるわけ?と何度か口にしたのでしょう。それを聞いた父親からこの言葉を聞かされたのは...
言葉・ことわざ

5才から聞かされ続けたことわざ

『実るほど頭を垂れる稲穂かな』『俺が俺がの「我」を捨てて、お蔭、お蔭の「下」で生きろ』
我想う支援日誌

もう春ですね

4月1日、遺骨の取出しで永代供養墓に行ってきました。あんしん館から車で40分ほどの距離にある寺墓所に建つ『あんしん一樹の陰』まで走ると途中で見える桜の大半は満開!? と思えるほどで春の霞でうっすら白くなった景色は『春』そのものでした。 3月...
我想う支援日誌

本音街道まっしぐら

『何で俺が葬儀支援なのだろう?』とずっと理解出来なかった理由が執筆でようやく理解できてつかえが取れた感じです。それは15年経った今も変わってない『胡散臭い葬儀屋が嫌い』『胡散臭い僧侶が嫌い』だから葬儀支援に拘り続けたんだと分り
我想う支援日誌

誰にでも出来る未来予測

事業を始めるなら未来予測は絶対条件、未来予測は今ある現実を知りたい年数先まで移行すれば誰でも分るものです。例えば30年前に想像できなかった事はいくらでもありますが、10年前に想像も出来なかった事が今の時代にありますか?
我想う支援日誌

残りの人生を試算してみる

統計として出てる余命予測、健康寿命予測から自身の活動予測は簡単に試算できるから対策を立てるのも容易です。皆さんも参考程度に試算してみては如何でしょうか。しかし今回ブログ本来のテーマは僕のこれからを伝える事ではありません。
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たかが おせち、されど おせち

僕自身は22才で結婚してから45年間おせたを作り続けてますが、家族は勿論、嫁さん家族の分から、今は千明家族の分へと食べる対象は変わりました。よく、おふくろの味と言いますけど多分我が家に重箱のおせちが親父の味――、って事になるのかもです。
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明けましておめでとうございます

正月は遠い過去に思いを馳せられる不思議な時、ほのぼのとした温もりと懐かしい人達の顔や仕草や声までも思い出せる時、生まれた時から今日まで沢山の人達に囲まれて生きてきたのを改めて実感させて貰えるのが大晦日や正月のようです。
我想う支援日誌

2021年大晦日に想う

マスクをせず、唾が飛び交う中で話す――、当り前の事が幸せだったと教えられたコロナ感染ですが、食べる、寝る、話す、仕事をする等々これらも全て幸せのひとつと強く再認識させられた3年間でした。2022年は平凡で穏やかで年になって欲しいと思う。
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『継続』

仕事でも夫婦でも家族でも無理は続かない。なら対象者にメリットがあって続けられる事するのが一番簡単で上手く行く確率が高い。2021年現在あんしんサポートでも、家庭でも、これを実践しているからストレスも溜まらず心穏やかに過ごせているのだろう。
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『確認と修正』

一度口に出した事は守り通さねばと考える人が多い老年代は時代遅れ、地球の裏側で起きた事でも数分で分る時代ですから臨機応変な思考は必須です。つまらん見栄や建前は捨て今思う最善だけを繰り返す事が仕事でも家庭でも結果オーライに繋がるんじゃねぇ!?
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『行動』

凡人は考えるより動くこと、動きながら考えたり、修正したり、迂回したりすればネガティブな発想をする間もなく、いつでもボジティブな自分を見せ続けられる。起業や今の事業に於いて考える事が優先してたら要注意、考えて前向きになった人を知らない
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『代償と覚悟』

僕の知る限り、夫婦、家族だけは無償の愛も存在しますが、それ以外は例え愛情でも代償を求めるのが当り前それが事業や商売なら尚更だろう。起業するにも多くの代償を覚悟する必要があり代償も考えず覚悟もできない人に成功者(経営存続)が少ないのは当然の事