三つ子の魂、百まで

我想う支援日誌
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「幼い頃の性格や性質そのものは、年老いても変わらない」有名なことわざですが、類句の「すずめ百まで踊り忘れず」も含め実感として納得できることわざのひとつです。すでに祖父母、両親とも他界してますから恥と感じる人も無く、子供や孫が生れたり、育ててる方には参考にして欲しいことがあります。

僕が5才のある晩、お婆ちゃんと風呂に入っていると小母さんが女の子の手を取り、背中にも赤ちゃんを背負って風呂の近くまで来て何か言って頭を下げてました(当時の家は母屋、中庭、風呂、井戸、釜戸など火と水を使う専用の家?があって裏庭がある結構大きな家でした)

翌日の朝になると女の子に「私がお姉ちゃんで、あそこで寝てるのが妹だよ」と言われ遊んでいると廊下を雑巾がけする昨夜の小母さんが目に入り「お姉ちゃん、あの小母さんは誰?」すると「馬鹿だねぇお母さんだよ」と言われましたが、5才まで母親の存在を知らない僕は「お母さん??」と言ったのを覚えてます。

その後、家業倒産まで10年間同居したわけですが何処か馴染めない自分が居続けたし、母親からは「お前が生れて数か月の時、跡取りが見たいと言われたとお父さんが連れて行ったきり返してくれなかったんだよ」と祖父母のせいにして弁解してましたが『おぃおぃ、普通なら返してくださいって祖父母の所へ行くのが母親じゃねぇ!?』と思って少し呆れてから、その件に触れた事はありません。

母親は母子家庭(後の姉)でしたが父親との間で僕を身籠る。家柄や商売柄もあって反対されてたようですが、生まれる前で無いと養子縁組する事になる為、生まれる直前に入籍したのが後々謄本を見る機会があって分りました。

家業倒産で家族離散となった時、僕が祖父母との生活を選択したのは、自然とも当然とも言えるのでしょう。僕にとって父親が仕事をしてる姿は毎日見てましたけど、ご飯、おやつを用意してくれるのはお婆ちゃん、町内旅行とか重役だった市場に連れてってくれるのはお爺ちゃん、保育園の遠足に連れてってくれるのは父の姉である叔母さん、あとは働いてくれてる人達のほうが母親より近い存在なのです。

そう考えると、幼少時代の過ごし方はとても大事なようですから、子育て、孫を預かる時などは叱る時も含め子ども自身が愛情を感じられる接し方をし続けて欲しいと思う。

67才の今にして思えば、自分の子供達に対して愛情は勿論ありましたし、お金の面で寂しい思いをさせたくないのもあって仕事優先してきたのも事実、ただ小さな子供に理屈や考えは無く犬猫と大差ないとさえ思った時期もありましたから大きな間違いでした。

虐待はしてませんが運動会や参観日に仕事で行けなかった等、子供の心にしっかり残っているようで、相当、寂しい思いをさせてたようです。これは嫁さんにも同様で『お金』と『家族の時間』両立、簡単ではありませんが偏り過ぎると問題が出るようです。

多少仕事が出来たり、多少他人様より金銭面で余裕があったとしても、だから家庭を蔑ろないがしにしたり、子育てを任せっきりで良い理由にはなりません。人生終盤に来てようやく気付く――、この辺りが凡人より愚人ぐじんに近い自分を痛切に感じる部分です。

我が人生というか、自分自身の汚点でも恥でもありますが、皆さんが同じような失敗をする必要はありませんから、間に合う人は是非参考にして欲しいと思います。あなたやあなたの家庭が幸せになっても誰かが不幸になるわけではないのですから――、みんなが幸せになれるのが一番です。

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