プロフィール

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美容室への材料商役員から35才で起業、美容室数店舗、ホテル二軒で婚礼美粧、貸衣裳の経営者として当時の市長とアメリカバーミンハム市など何度か行く。

商工会議所の名士の方々に違和感を感じ馴染めず社長業も楽しいと感じた記憶はなく、収入はそれなりにあったが現場で動くほうが好きだった。

今思えばその不完全燃焼が葬儀支援の道を進ませたのかもしれない。

起業から17年後52才の9月、自宅に帰るとベッドのサイドテーブルに一通の封筒が置いてあり、差出人は八王子裁判所で少し驚かされた。

内容は37年前15才の時家業の倒産と同時に蒸発した父親が逝去、遺言書を開封するため同席するか委任状を送付するよう書かれていた。

開封には行けなかったが後日父親の最後を看取ってくれた女性に逢いに鎌倉市まで行った事から人生が大きく変化することになった。

そこからは僕の意思に関係なく葬儀の仕事をせざるを得ない強い流れで法人設立前に入った葬式依頼で葬儀屋の実態を見せつけられた。

この経験が無ければ少し安い普通の葬儀屋になっていたかもしれない。

自分でも理由は分らないが団塊世代が終幕期を迎える2030年代までに葬式に対する意識改革をしておかなければと思ったのが2007年だった。

その後は葬儀支援を進める上で必要な「教師」「反面教師」との出会いが相次ぎ「何処を目指すべきか」「何をすべきかに悩む必要は無かった

「散骨場開設」「5万円火葬支援パック」「あんしん館開設」「永代供養墓あんしん一樹の陰建立」と何の障害もなく開設に至った。

特筆すべきは、あんしん館開設で支払ったのは21万円だけ、僕はやる気がなく家主に引きずられた形となったが開設した月から食えるようになる。

設立初年度わずか3件の施行から始まり倍々ゲームは6年間続き200施行まで来ると身体が持たないと分り施行数を減らして支援強化に入る。

途中、新聞、テレビと沢山の取材のお蔭だろう。

葬儀社と明確な違いを図る為、10年間続け何のメリットも無かったNPO法人の閉鎖に踏み切り半年後に閉鎖、2019年1月1日から合同会社で活動開始。

設立前から2021年まで無借金経営を貫けた事は精神的にはとても楽、適度に施行量を減らせたのも長く続けるには必要な判断だったと思う

最後に葬儀支援事業を行って感じたままを記してプロフィールとさせて頂きたい。

あんしんサポート葬儀支援事業をして思うこと

・人生50有余年にして「天職」と思われる仕事と出会った

・金や物の執着は無かったが「他人に頼られる事が自分の喜びと初めて知る」

・10年以上無休で24時間不規則でもストレスが溜まらない事があると知った

・天職とは「金」も「苦労」もせず尚且つ自分の意思も無視して進むものと知る

・生涯現役、言葉の真髄が分かった気がする

・他人を助ける事は間違いないと思うが自分も助けられているのが分る

・66才にして毎日を元気な笑顔で生き甲斐を持って生きられる事に感謝

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