葬儀屋の理屈は商売前提の建前論

葬式関連
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葬儀屋にとって宗教者を呼び、宗教別祭壇を飾り、沢山の会葬者を呼び、通夜を行い、清めの飲食をさせる事が売上増となり利益増に繋がります。

家族数人だけで火葬だけする直葬ではお金に成りません(とは言っても火葬料別で20万円なら充分過ぎるほど搾取してるのは間違いない)

14年間葬式を施行する側として千数百件の葬式をしてきた本人が「利益取り過ぎ」と言うのだから葬儀業界以外の人は同意見になるだろう。

葬儀屋の中には人の嫌がることをしてあげるのだから高くて当然と口にする経営者もいるが、なら利用者に不要な存在だから辞めればと思う。

大なり小なり似たような感覚を持っているから高額にしても当然と思うし高額であることにさえ気づない葬儀屋のほうが多いことだろう。

この「してやってる」感は至る所で出るから家族は精神的に負担だろう。

葬儀屋で僕の主張に賛同する人は極々少数を除けばいないでしょう。

少数ですが近しい考え方が根底にある葬儀屋もいますが、経営として成り立たないと思うのだろう。僕と同じことをする決心には及ばないようです。

この人達はきっと毎日を狭間の中で過ごしているでしょう。多分、僕のようにお気楽で、ストレスなく、胸を張って生きてる訳ではないだろう。

さて『葬儀屋の理屈は商売前提の建前論』であることを証明しよう。

宗教者を呼ぶ
・日本人の70%~80%は無信仰者と言うなら大前提は無宗教葬だろ
・宗教者の意思が最優先される葬式自体が不可思議である
・家族が最優先されて然るべき
・日本で宗教観を語る時代はとうの昔に終わっている

宗教別祭壇を飾り
・各宗教別の飾りや供物を供えれば売上があがる
・供物を供える事の何処が供養になるか理解不能
・ましてや信仰心の無い人達なのである

沢山の会葬者を呼び
・今は隣保班の付き合いも無い時代
・お別れの時間は理解できる
・ならお別れ時間を長くとるべきだろう

通夜を行い
・仏教の通夜は弟子達が釈迦の教えを語り合う起源
・僧侶が葬式と同じ事をする事ではないはず
・通夜は家族と親交の深かった人で行うのが筋

清めの飲食
・清め、精進落としの言葉を使う意味不明
・今は食い過ぎで糖尿病になる時代で食事不要
・食事不要な時間割にすれば良い

家族の心の整理
・言葉は間違ってないがやってる事とは違う
・家族が化粧、髭剃り、爪切り。身支度等すべき
・家族で語り合う時間を作ってあげるべき

如何かな? 火葬する事を葬式と呼ぶなら問題ないが、上記に書いた現状の葬式で当たり前に行われているひとつひとつには全て疑問符が付く。

葬儀屋がどんなに理屈をと唱えても家族が望む葬式で無く葬儀屋としての商売の視点からに過ぎない。

金銭的に余裕のある家族は多少費用が掛っても問題ない為、葬儀屋の主張を受け入れるだろうが、余裕の無い家族はそうはいかない。

できる限り費用は抑えつつ家族が納得できる葬式にしたいから重要度は個々に違い「戒名」だけは「読経」だけはなど個々の家族で様々です。

また「遺影」「お別れ」「墓への納骨」などを最優先する家族もいますが後の生活に支障が出ず無理さえしなければ何でも良いんです。

どんな葬式であろうと家族が納得し葬式後も故人を温かく心に留めてあげられる葬式、これがその家族にとって最高の葬式なんです。

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