高校生か大人に成ってから祖母に聞かされた話、僕が5才くらいの時お婆ちゃんと凧揚げをしてると糸が電線に絡んでしまったそうです。
凧は取れないと言うお婆ちゃんとの会話は、
「なんであんな所に電線があるの?」
「電線は危ないから高い所にあるんだよ」
「ふーん、僕なら土の中に埋めちゃうけどな」
解り易く言うと何か言われたらそのまま納得する子供で無く大人の意見に異論を唱えるのだから可愛げのないガキだろうが、これがとても大事です。
この感覚は60年経った今も変わっておらず、人の話しが理解できなくても頷く人って多いけど「それってどういう意味」と聞き返すのが僕です。
近くでは千明が理解してなくても頷くタイプですが、僕は言葉の意味が分からなければその後の話しも理解できないから聞き直します。
新発想やアイデアは『納得するまで聞く』事が大事で聞いた事を『自分に置き換えてみる』と『すべき事が明確になる』これだけの事です。
「こうし欲しい」「これが希望・要望」と言われた経験は皆無だと思うが雑談が進むと困ってる事、希望や要望など無意識で語る人が多い。
そんな言葉が出たら詳しく聞かせて貰えば「希望要望の本音」が見えるから更に詳しく聞く事もあればそれで納得することもある。
次にするのは「自分ならどうだろう」と自分に置き換えてみてる気がする。すると納得することもあれば疑問符が付くことなど勝手に考えてる。
その後「何故そうなるのか」「何処に問題があるのか」「どうすれば改善できるか」と考えるのが当り前になっているじゃないかなぁ。
「墓」を例にしてみましょう。
①「寺墓は金が掛るから子供の為にも何とかしたい」
『うちにも墓があるから同じ問題がでるなぁ』
②「離檀して墓閉じすれば良い」
『我が家は無信仰だから絶好の機会だな』
③「しかし出した遺骨はどうする?」
『墓から出した汚れた骨壺を家に置きたくねぇ』
④「散骨・永代供養墓・手元供養で対応できる」
『最終的には何も残さず対処がベストだろうな』
⑤「低料金で墓閉じを可能にする必要がある」
『自分で石屋探しは面倒で料金の基準が分からん』
・流れは以上で寺うんぬんは考える必要はない。
『満足に話した事もなく世話に成ってる感はない』
・同様に考える人は少子化で相当数いる。
『俺もだけど同じような人は沢山いるだろうな』
・その為には「④」「⑤」の実現が絶対条件。
『なら俺が④⑤を創りゃ良いわけだ』
すると「低料金の墓閉じ完成」「永代供養散骨プラン誕生」と勝手にプランが出来ます。頭を捻って考えだした企画やアイデアはありません。
普段の生活や話しの中にある場面を聞き流したり見過ごすか「ん?なんで?」と意識するかの差だけの問題じゃないかと思う。
商売や仕事で優れてる人と自分では根本的に能力の差があると思ってる人は多いが、思ってるほどの差ではなく、ほんの小さな「?」だけの違いです。
ただ1度の角度差でも数か月、数年、十年と経てばとてつもない差になってるはずです。何でも素通りさせず「?」ろ過ポイントを設定しては如何でしょう。
発想の原点は「なぜ?」
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