あんしんサポート葬儀支援センター 著書:無信仰者の葬式参考書

「死」の相談は50代、出来れば60代な気がする

我想う支援日誌
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「死」について自然の摂理である事、いつ人生の幕が閉じるか分らないなど頭では解っているが正直な処50代までは対岸の火だった。

たぶん普通に動ける心身の健康があれば年代に関係なく死は対岸の火感覚なのだろうと思うし、だから明るく暮らせるのだろう。

しかし配偶者の死が迫っている人は「死」そのものを受け入れるのも大変だろうし死後の生活を考えたら穏やかな心でいられないだろう。

相談者の立場で考えると『もし僕が40代までの人間だったらアドバイスを素直に聞けるだろうか――』と考えると難しいだろう。

60代、70代、80代の人生経験豊富な人相手に能書きを垂れても薄っぺらな印象になるだろうし一歩間違えば腹立たしくさえ感じるだろう。

葬儀社の労働力としてのスタッフなら年代は関係ないけど家族が膝を突き合わせて話せるのは50代から出来れば60代じゃないかと感じる。

但し60代に成ると外見も内面もジジイ化してる人もいる訳で、相談者がジジイと感じたら意見は素直に聞いては貰えないだろう。

人の「死」について語れて、それを大多数が素直に聞ける人間は限られるだろう。

先日39才の息子と話しをしてたら「人の死について年上の人と話すのは、まだ俺の年代だと難しいよね」と言われ『なるほどぉ』と思った。

事前相談で相談者にとってベターと思えるアドバイスや愚痴や相談を2時間もできるのは偶然にも、ちょうど良い条件が揃った時期なのだろう。

僕が見て来た年長者の多くは加齢に比例して頑固になる人が多く相手の事が考えられなくなる人も多いような気がしている。

5月26日は午後3時と午後6時に入会相談があり、一週間持たない対象者と危篤の対象者らしいが、自分自身を確認してみようと思う。

相談者の価値観、事情など相手の立場でのアドバイスを貫いているか、僕の感覚の押し付けになっているか千明に確認してみるつもりです。

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