商売じゃないから本音が言える

我想う支援日誌
この記事は約4分で読めます。

最終枠内7番目『商売じゃないから本音が言える』、一連の内容は全て僕自身の事ですから皆さんは『自分なら――、』と自身に置き換えて考えてみてください。

『過去の人生を振り返る』
『我が人生の原理原則(幸福感)を知る』
『働ける喜び(少なくとも嫌でない)』
『職場と家庭が円満である』
『食えりゃいい』
『小さな幸せ、今の幸せを感じられる』
『商売じゃないから本音が言える』

一般的には普通のようだけどサラリーマン時代から嫌いな事のひとつ『相手の機嫌をとりびる営業』だから美容室への営業時代は経営者の苦手な『経理・税務』『スタッフ教育』『経営企画』を武器にした特殊なスタイルの営業を始めた。

結果コンサルティング営業が確立でき間違いでは無かったと思う。この感覚は美容関連の経営者時代・現葬儀支援でも同様で横柄な人を始めとした嫌な人の入会を断ると当時の千明ちぎらは「何でお客様を断っちゃうんですか?」と不思議そうにしてるので言いました。

「あのな、お客ってのは儲けさせてくれる人の事、赤字になる支援は商売と言えず、お客でも無い極端に言えば趣味みたいなもの、趣味を嫌々やる奴はいないだろ? 相談に来る来ないは相手の自由、うちは行政でなく何処からの助成もないから入会を受ける受けないは俺の自由、受けて後悔しそうな人の入会は受けない。それだけのこと」

当初は怪訝けげんそうな顔でしたが今では僕の言ってた意味がよーく分って納得だそうです。

商売の概念からするとあり得ない発言ですが、支援の観点からすると家族にとって最善と思える思考や提案や判断が必要、時には叱咤したり宥めなだたり、家族の生活を無視した無責任な親戚から家族を守る防壁ぼうへきになる事もある。

故に家族から信頼に足る人物との認識は葬儀支援に於いて絶対条件、信頼は誰に対しても最初から最後まで変わらない言動と何年経ってもブレない現実が無ければ得られない。

サービス業、接客業の葬儀屋は接遇が大事でしょうが、我々は『本物の家族目線』家族との対話は互いに本音でなければ意味がありません。

端的に言うと接客業の葬儀屋は表面的な「親切」が必要かもしれませんが、葬儀支援に於いては方向性を誤った家族に叱咤するほど本気の家族目線も必要で親切より「助かった」が重要、医者が手術が必要な患者に投薬治療と気休めを言っても本気で患者の事を考えた対応でないと一緒。

その答えは葬式の時より葬式後、冷静になった時どう思うかです。人の死は財布事情を考慮してくれず入院、施設等で多額の費用が掛かった直後の葬式も多い。家族も親戚も経験と知識と勉強不足で葬式の何が分らないかさえ分らない、だから葬式後の生活まで考慮した冷静なアドバイスは重要です。

現行の葬式で理解も納得もできない本音の一例

》無信仰者が宗教儀式!?理解不能
》葬式で100万円!?理解の範囲を超えてる
》坊さんは法力使える訳じゃねぇ普通の人
》葬儀屋は全て霊感商法でしかない!?・・etc

まだまだ本音はありますが、余裕の無い家族に業者目線の常識と脅しおど煽るあお霊感商法と誘導商法で残る家族の生活は無視、どんな屁理屈を並べても絶対に間違ってる。と同時に利用者である家族の無知さを認識させたり家族目線からの正論を伝える必要もあって家族の機嫌を取ってたら実現できない。

勿論、家族毎に価値観も違うから、現行の葬儀屋と坊さんの利益最優先の葬式を良しとする人に苦言を呈する気もなく好きにすれば良いと思うが、僕と同様の考え方をする人達にとっては救いとなる。

ただひとつだけ明言しておくと僕は人助けをしてる気はなく、人助け感覚で良い人を演じ続けてたら15年は続かず、業界全体がブラックだから改革、改善の余地が無数にあり『残る家族の生活最優先』させるには業界より家族に現実と対応策を本音で伝える必要があった。

冒頭書いたように『機嫌をとったり媚びをうるのが嫌い』で以前書いたように『相手が喜んでくれる姿を見ると嬉しくなる』自分でもつまらん性格と思うがどうにもならん――、家族との会話を思い浮かべると葬儀屋では絶対聞けない話題が多く、正直な所わざわざ振らなくてもスルーできる内容が大半だ。そう考えると根本的にお節介な奴だし『面倒臭くねぇか!?』と問う自分さえいる。

葬儀支援を始める前は予想も出来なかったけど、あれだけ忌み嫌ってた葬儀、葬儀屋は今もって好きじゃないけど支援をする日々は楽しいんだろうなぁ、だから儲からなくても、休みがなくても、24時間対応でも15年間続いてるんだろう。何事もそうだけど仕事も喜びや楽しく無かったら続かないよね。

コメント