「余命宣告」について考えてみた

我想う支援日誌
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自分も含め人の死は自然の摂理と頭では理解できても『自分の死を受け入れるのは簡単ではない』日々人の死を見ている僕でもそう思う。

相談に来られる家族の半数以上は『対象者に余命を伝えてない』と言い本人に伝えてる家族のほうが少ないのが現実らしい。

僕の生活範囲にも40代後半で学生の子供がいて突然癌宣告を受け治療をしている人がいるが高齢者が宣告を受けるのと全く違う。

また余命宣告は本人の意思より家族に託される事のほうが多いようだが、できれば本人の意思を尊重すべきに思える。

元気で動ける『70代までの人に対する余命宣告』をどうすべきか考えてみた。

『何も知らずに過ごす』か『全て理解した上で過ごす』かを僕なりに比較してみようと思う。

余命宣告されない場合
良い点
・治療を続ければ治ると思って過ごせるだろう


悪い点
・投薬で強い副作用の苦しい日々を生きる
・基本入院ベッドの上での生活になるだろう
・家族は病室で空元気からげんきと嘘をつくしかない
・徐々に弱り心身辛い終幕間近になるだろう

余命宣告した場合
悪い点
・「絶望」が心を支配するほど辛いだろう
・人によって「自死」をしたくなるかも‥‥


良い点
・副作用のある治療をせず過ごせる
・人生の最後を自分の思うように生きられる
・大切な人と積極的にお別れの時間が持てる
・家族など大切な人達にメッセージが残せる

『余命宣告されない場合』の中に「治療により延命の可能性が高くなる」があるのですが「良い点」とは思えず書きませんでした。

多少延命はできるでしょうが辛い日々の延命で普通に生活できる状態での延命でなく生きるというより生かされる日々だからです。

家族が対象者の心を心配して『知らせない』と判断する感覚は充分理解できます。

しかし治癒ちゆしないのであれば『6か月精一杯生きる』のと『治療で生きる7か月』僕なら6か月を選択するだろう。

動けるうちはベッドの中でなく旅行でも、食事でも、人に逢うでも、今まで出来なかった心残りを少しでも解消すべく動き周って過ごしたい。

動けなくなってきたら意識がハッキリして指が動くうちに最後の著書を書いたり、遺言を残したり、家族や周囲の人達への手紙を書くだろう。

勿論、死後の葬式と遺骨処理も具体的に書くし、あんしんサポートについても最大限見える未来像も同様に書き記すだろう。

男性の平均寿命81才までの年数を凝縮したような充実した余命期間を過ごしたいと思う。

最大の難関は『この感覚になれるまでの時間だろう』が終わりが決まってるなら出来るだけ早いほうが、それだけ充実した時間がとれる。

そう考えると『僕は余命宣告して欲しい派』に属するようです。

余命がある代表は癌だろうから癌で逝くなら比較的苦しくないと言われる肝臓癌だろうか――、

こんな風に書くと「死の話しなんて何を馬鹿なことを・・・」と言う人もいるでしょうが、こうして書いておくことは必要だと思ってる。

自分自身は勿論、家族も、職場も、周囲も対象者がどんな理由で何を求めているか理解して貰えなければ結論だけ書いても真意は伝わらない。

但し、僕の場合『生涯現役』が目標だから今回とは相反する訳ですが、残念ながら人は自分の終幕の選択権は持ってない。

でもこうして書いておけば『どっちになっても意思は伝えられる』のを知って欲しいと思った。

実際に書き残して逝く人は殆どいないからあえて書いてみました。

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