「3」余命宣告より1か月頑張ったお父さん

葬式関連
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余命宣告3週間も過ぎた年末、葬式門標を取りに行った先で偶然次男と出会います。

「お、暫く! お父さん元気になった?」
「最近父さんが我が侭で母さんと喧嘩してますよ」

それを聞き家族が毎日病院に行ってるのが分り
「うんうん、みんな毎日病院通いしてるんだね」

「あ、はい‥‥」なんで分かるの? と思ったのか少し不思議そうな顔です。

年明け小正月も過ぎた24日夜逝去の一報です。

前橋から50分の病院にお迎え自宅に到着すると息子達が部屋を片付けてる。まだ片付かない部屋の布団に安置しドライアイスを当て末期の水と線香を供える。

4日後の火葬予約、寺の都合だけ確認するよう頼んで明日の午前中で片づけは終了するよう伝えると早々に失礼する。

通常は安置、打合せ、死化粧と進むのですが日常生活の全てを行う部屋の片づけが大変なのは容易に想像できるし火葬は1日延ばして余裕があります。

此処で死化粧を始めれば片付けもストップ、翌朝親戚が来るまでに終えるのは大変。明日午後と言ったのは親戚が早朝から来て多少時間をとられても午後なら何とかなるからです。

翌日午後行くと片付けも終わり三兄弟揃っており白幕張りから始める。30分ほどで後飾り祭壇まで全て終わるとお母さんに確認して貰う。

「本当だ白幕って凄いですね、台所も見えないし部屋も明るいし広さも充分ですね」

次は昨夜出来なかった死化粧、改めて故人を見ると頬は痩せこけ体力気力の全て使い切っての終幕という印象を受けます。

頬に含み綿をして少しでもふくよかに見えるよう暖色のピンク系も使用しての死化粧でした。

化粧が完了する頃には隣りに住む母親の両親も来て家族全員で死化粧を見守ってる姿を目にする。

亡骸となった父親の姿を目に焼き付けておこうとしているかのような家族を見たら、僕の口が勝手にしゃべり出していました。

「2か月半みんな良く病院に通い続けてくれたのは次男と年末に逢った時に分かりました。毎日通ってるなんて一言も言って無いのに何で?って顔してたね」

言いながら次男を見ると黙ってコクッと頷きます。

「最近我が侭になって母さんと喧嘩してますよ。の言葉で分かったんですよ」

家族全員を見渡しましたが頷いてる人はなく全員首をかしげています。

「人は遠慮があれば我が侭は言いません。我が侭を言えるくらい皆が通った証拠です。だからお父さんも最長余命3週間から更に1か月も頑張りました。残る体力気力の全てを使い最後の最後まで頑張ったのはお父さんの身体が証明しています」

そう語る僕の目に入ったのは家族全員が頷きながらの泣き顔ですが後悔の顔ではありません。

各々自分にできる事、持てる時間を精一杯使って父親と過ごしたり話したりできた満足感の顔でした。

2か月前に伝えた事を家族は守り実行してくれたから得られる満足感、父親の死は当然悲しいけれど各々父親との別れを受けいれる為の時間でした。

翌日の湯かん納棺は喧しい親戚が何か言わないよう話しの中でクサビを打ちながら進め翌々日の葬式では火葬中に食事をすることになります。

酒が入るのでA4用紙に『故人を偲ぶ』と題して色々書き文末には『お父さんとの楽しい思い出話しを聞かせてください。それが父さんの望みだよね父さん』と書いて全員の食事の席に配っておきました。

問題なく葬式は済み自宅に戻ると後飾り祭壇に遺骨を安置、線香を供えれば葬式は終了で普通は線香具以外は全て持ち帰ります。

ただ翌日新聞に無料掲載するので友人知人が来ても寂しくないよう全て暫く貸しておく事にする。

家族揃って「葬式前日の通夜が良かった」と言います。つづく

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