「2」家業のスーパー倒産50年前の記憶

葬式関連
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霧雨が降る午前零時を過ぎると店の周辺に駐車してた車から一斉に人が飛び出し店のシャッターが開けられ商品、備品問わず我先にと持ち出す。

その光景を夢でも見ているかのような感覚で呆然と眺め『これが倒産かぁ』とだけ思ったのを覚えてる。

翌日にはスーツを着た人達が家材道具全てに金額を書いた赤い紙を貼り差押え。学用品以外は全て500円、1,000円と書かれています。

正直これ以降自宅での記憶は殆どなく引っ越しがいつだっかさえ覚えてません。ただ倒産の数日後、学校に行くと誰も倒産について聞きませんでした。

きっと同級生の思い遣りだったのでしょう。家屋敷が人手に渡り祖父母と母親姉妹に分かれての生活までさほど時間は掛らなかったと思います。

5才まで祖父母に育てられた僕は祖父母と一緒に暮らすことになり親と姉妹と一緒に過ごしたのは5才~15才までの10年間だけでした。

その後の生活は人目が気になる日々、高校生活はバイトをしないと何も買えませんが新聞や牛乳配達、スーパーのバイトでは稼げません。

学校には内緒で当時のキャバレーでフロアには出ずスルメを焼いたりオードブルを作ったり裏方バイトで小遣い稼ぎをしていました。

生まれて初めて他人の下で働き仕事は縦社会で紙面に書けない事まで経験でさせて貰いその後の人生に役立ったと思います。

今までが贅沢で普通では無かった事も分りました。倒産から一人で逃げて蒸発した父親でしたが父親のお蔭で贅沢させて貰えたのも分りました。

感謝の念が湧いたのでしょうか父親に対しての恨み辛みを感じることなく生きて来られたのも家業倒産という衝撃から得られたように感じます。

また仕事は頑張れば成功するものでなく単なる良い人でも駄目、借金の怖さ、保証人と連帯保証人の決定的な違いも15才で学びました。

僕自身さほど落ち込む事なく親の過去の栄光にすがる事なく、財産や家業を守る呪縛から解き放たれた解放感のほうが強かったようです。

倒産の現実より『喉元過ぎれば――、』的過去に執着しない性格も幸いしたようです。

倒産後の悩みは親戚との付き合いでした。親戚が集まるのは冠婚葬祭で酒はつきもの、酒が入ると「なぁ本当に親父の居場所知らねぇのか?」と聞かれる。

酒が進むと父親の悪口も出て腹の中では『てめぇら、いつまでもしつけぇぞ!!』と口から出そうになるのをグッと我慢する10年以上――、

時々、面倒くせぇなぁ、親戚付き合い止めるかなぁと思いましたが我慢したのは自分に子供ができた時、父親の親戚が全く無いのも可哀相だからです。

この家族もきっと僕のような経験をしてきたろうし、このタイミングで父親と永遠の別れを経験するのは僕より辛くて悔しいでしょう。

この経験を人生の肥やしにして生きて欲しいと思いながら家族の談笑を遠くで聞いていたのです。つづく

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