僕が思う諸行無常と執着心

我想う支援日誌
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諸行無常しょぎょうむじょう

ネット検索すると「世のすべてのものは、移り変わり、また生まれては消滅する運命を繰り返し、永遠に変わらないものはないということ、 人生は、はかなくむなしいものであるということ」と書いてあり、どんな辞書で調べても大意は変わらないでしょう。

成長ー繁栄ー衰退

前回「今は無用と思える葬式の常識」を書きましたが、これも仏教熟語のひとつ諸行無常という事です。
公的機関は1~5歳を幼児、6~14歳を児童、15~44歳を青年、45~64歳を壮年、65~74歳を前期高齢者、75歳以上を後期高齢者と呼びますが、各々の人生の中にも様々な区切りがあります。

最近では65才を超えた頃から徹夜した時を筆頭に体力の衰えを実感するようになりましたから、ひとつの時代が終わり、老人域がスタートしたのでしょう。

人生をひとつとして捉えると、誕生~成長~全盛期~衰退と考えると、人生は、はかなく虚しいとなるのも分りますが『なら頑張る必要は無い』『どうせいつか衰退するんだ』といったネガティブな思考をする人もいるはず、自分自身の人生を振り返ってみると、ちょっと違う発想の諸行無常があるような気がします。

ひとつの節目は終わるが、次のステージのスタートである

経済、医療などはその典型、テレビが各家庭に入りカラーになり、電化製品に溢れ、地方都市なら大多数の家が車を所有する時代、更に誰もがスマホと呼ばれる極小のパソコンを持ち歩く時代、敗戦の復興からバブルを迎え、バブルが終焉を迎えると、デフレ不景気が続き、今はインフレ時代の始まりです。

4年前まで冬場以外でマスクをする習慣はなく、大勢が集い大声で話せた時代はコロナ感染で終焉を迎え、夏場でもマスクをして歩く人がいる時代のスタートを切りました。

文明・文化も諸行無常を繰り返し、ひとつの区切りが終わると、更なる時代に向けた出発を繰り返してきたとも言えますから、単にむなしいだけでは無く、夢を実現させ続ける事もあれば、新たな時代を生きる術を学ぶ時代の始まりなど様々な区切りとも言えます。

諸行無常とは、ひとつのステージが終わり、新たなステージが始まり一連の流れと考えられないでしょうか?

また僕が15才で経験した家業倒産で父親蒸発、家族離散、貧困等の経験は、2024年の今を生きる為に必要なスキルや経験を積む時期であり、それらのアクシデント無くして今の人生は得られないとすれば、人生の中で起きる様々な苦節は己が人生の糧を積み上げる期間とポジティブな思考もできます。

僕の場合『5才』『15才』『結婚』『起業した35才』『葬儀支援設立の52才』が、ひとつの区切りで小さな諸行無常の完結と新たな諸行無常の始まりだったのでは? とも考えられます。

執着心を捨てるとは衰退に限らず

執着心は過去の栄光で使われ易い熟語ゆえに、衰退期に過去の栄光を語るなどネガティブな発想になりがちですが、過去への執着を捨てるから新たなスタートが切れるとも言える。

例えば、ホームページを作成する際、ある程度まで作ったものを変更すると、最初の構成から抜けられませんから、「もったいない」「折角」の想いは捨て執着せず全て削除、「いち」から創り上げれば衰退でなく進化になる事も珍しくありません。

諸行無常とは竹の節のようなもの、過去が失敗、挫折、苦悩の経験ばかりなら、それだけ強くなってる訳で、これから先の人生に活かせるはず、楽しい人生にするか、悔やむ人生にするかは全て、あなた次第です。

これも、なぜ、なぜどうしてのひとつ

先人の教えの多くは「なるほどぉ」と素晴らしい知恵が詰まってますが「諸行無常」が例え釈迦の教えであっても、ただ鵜呑みにせず、こういう考え方は出来ないだろうか――、との考察も、洗脳や執着心から解き放たれ、自分なりの人生を歩ける一歩となってくれると思う。

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