執着を捨てる秘訣「弱点を自らさらす事」

我想う支援日誌
この記事は約3分で読めます。

「執着を捨てる」と言われても何をどうしたら良いか分らない――、のが大半の人だろうと思います。僕自身も母親を見て過去への執着にプラスは無いと感じはしたものの、どうすれば執着を捨てられるか分らないまま心の何処かで無用なプライドは残したまま生きてたと思う。

虚栄心・プライドだけの時期

家業に何事もなく順調であれば全く起こらないのが執着という感情、今は無いからこそ過去の栄光への執着心が湧くのを教えてくれたのが母親の言動でした。

奥様で過ごした過去の栄光話しを聞く度、現役時代以上に活き活きとした表情と言葉は同調より惨めさを強く感じられ『この人は何故ここまで過去を引きずるのだろう、、これが「執着」なんだろう』と客観視できたのは、反面教師としてその後の人生の糧となりました。

座右の銘である『人は執着を捨てれば楽に生きられる』は母親の教えとも言えますが執着を捨てる術は身に付いておらず、態度の違いこそあれ僕自身も同じような生き様だったろうと思います。

残金50円で捨てられたプライド

都内で過ごした時期があり、金が無く西荻窪に住む友人のアパートに行けば何とかなるだろうと切符を買うと残金50円、到着すると留守、鍵の場所は知ってたので開けて入るとストーブを点火、万年床の布団の中で押し入れにあった角砂糖をマグカップに入れストーブで温めて飲んで過ごしましたが翌日午後まで待っても友人は帰ってきませんでした。

灯油も無くなり、角砂糖も無くなり、いつ帰るか分らない友人を待っても仕方ないとアパートの外に出ると、これでもかと言うほど人は沢山いますが誰一人として知り合いはいません。寒さと空腹感もあったせいか強烈な孤独感を覚えてます。

50円では帰りの電車賃にもならず、駅の周辺を歩いてるとキャバレーにホールスタッフ募集の貼り紙、「賄い付」の文字を見て入ると今から仕事するように言われ、おしぼりを丸めたり、ホールの掃除が終わると目当ての食事を腹一杯食べました。

「6時まで休憩」と言われ1時間あるので外に出ると、そのままトンズラ『飯代くらい働いたしな』と世田谷区東松原まで2時間ほど繁華街を選んで歩いて戻り、翌日からも「賄い付」の仕事を探して飯を食ってはトンズラを繰り返してました。

高校生時代キャバレーでアルバイトしてたから仕事の内容は分ってましたが、知らない人達ですから何も知らない振りして教えられた事を素直にしてると「お、覚えが良いな」と初日から可愛がってくれる事も多く『知ったかぶり』より『知らないので教えてください』ほうが利口だと分った。

時には先輩から休憩時間に喫茶店に誘われますが「お金が無いのですみません」と在りのままを伝えると「奢ってやるから」と当時流行ったコーラを温めた「アパッチ」なる飲物を好んで飲んでました。

見栄を張らない事が「執着を捨てる」事と知る

周囲の人達は僕の過去や家業も知りませんから「お金がない」「分らないから教えてください」そして「俺が一番下っ端」と思って「笑顔」で過ごすと大半の人達が親切に対応してくれたり、面倒を看てくれる事も多くプラスも多いけど、何より気楽に過ごせる事を人生で初めて知りました。

考えてみると意味も分からない5才くらいから帝王学のひとつとして祖父母にいくつかのことわざを何度となく聞かされた中のひとつに「俺が、俺がの「が」を捨てて、おかげ、おかげの「げ」で生きろ」ってのがあり、今も覚えてるほど何度と無く聞かされ続けた言葉です。

「見栄を張らず」「威張らず」「無用なプライドは捨る」ことが執着を捨てるという事、それと『実るほど頭を垂れる稲穂かな』教えは「執着を捨てれば人は楽に生きられる」と相通じるものがあります。

コメント