三つ子の魂百まで

我想う支援日誌
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生れながらの資質でなく幼少期の教えだろう

前回ブログ内で『慈愛の心を持って生きろ』と幼少期から教育されたと書きましたが、詳細は著書に書いたので割愛すると、生後数か月~5才まで祖父母に育てられ、後継ぎでしたから『商売で大事なのは「儲け」でも「金」でもなく信用と人間性である』と教えられてきたのを改めて思い出しました。

「自分がした事で相手が喜ぶ姿を見ると嬉しくなる性格」と過去のブログ内でも書いてるし、他人に話すと「持って生まれた性格だな」と言われ、変な性格だなぁと思いながらも、子供の頃から持ってた性格でしたから、自分でもそうだろうと思って生きて来ましたが「三つ子の魂百まで」が正解のようです。

だとすれば、幼少期の育て方は、その子供の一生を左右する可能性さえあるという事ですから大事です。僕のケースでは、耳にタコができるほど、何度も、何度も聞かされ、貧しい親子が来店するとお婆ちゃんは飴玉を数個、子供の手に握らせたり、一本のサバを家族数に切ったり、足らない時は一切れ余分に入れたりする。

何で? どうして? が当り前の幼少期ですから、それを見た僕がお婆ちゃんに「何で?」と聞くと「飴玉を貰った子供が最高の笑顔をお婆ちゃんに返してくれたでしょ」「家族全員で食べたほうが美味しいでしょ」と言って笑ってましたが、教えの実践を見せてくれてたのでしょう。

70才を迎える人間でも他人様の役に立てる

69才で著書を書くまで自覚すらありませんでしたが、52才から始まった葬儀支援の礎はいしずえ幼少期からの教えで培われた資質のようですから、そりゃあ天職とも思えたり、休日が無く、夜中に起こされ、且つ低報酬でも嫌に成らないのも『なるほど、そういう事かぁ』と納得できます。

設立当初は「うさん臭い」「売名行為」「集金時に追加する商法」など色々言われましたが、さすがに16年間貫いて来ると、その手の中傷は一切なくなり、同時に「何で?」「どうして?」と言われ利用家族から「神様のような人」と言われる事さえありますが、ようは幼少期から培われた性質に過ぎません。

一緒にするな、と言われるかもしれませんが「弱者救済に立ち上がる弁護士」「患者を治す事に人生を賭ける医者」「被災地に自費で行きボランティア活動する人達」と同様で『喜び』があり、端から見ると苦行のようでも当人にすると『楽しい』から続けられるし、改革・改善・進化できるんだと思う。

言語は生まれて6カ月~8カ月が勝負らしい

祖父母の教えはきっと話し始めた2才位~5才くらいまでだろうと想定しますが、言語に関しては6カ月~8カ月は何処の国の言語でも聞き取れるが10カ月を超えると日本人は英語やフランス語で聞き取れない音があり、アメリカ人やフランス人も同様であるとする調査結果もあるそうです。

英語を子供に教えたいが両親は全く英語が出来ず、近所に外人もいない人は、生まれてから見せるテレビは英語のマンガを見せ続ければ、英語が普通に話せる確率は各段に高くなり、英米在住の人達が使用するローカル英語になると言われる報告もあるそうですから参考にしましょう。

祖父母の教えに感謝

祖父母の教えのお蔭で、少なくとも他人への迷惑をかえりみず、自己中心的で、強欲だけの人間にならずに済んだ事と、69才の今も生き甲斐と張りを持って誰かに必要とされながら、生涯現役で動き続けようとする意欲があり、心身の健康が維持できれば可能な環境に居られる事に感謝、ただ『孝行をしたい時に祖父母なし』この後悔だけは消える事はありません。

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