『働ける喜び(少なくとも嫌々でない)』

我想う支援日誌
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今回は枠内3番目『働ける喜び(少なくとも嫌々でない)』ですが、一連の内容は全て僕自身の事ですから皆さんは『自分なら――、』と自身に置き換えて考えてみてください。

『過去の人生を振り返る』
『我が人生の原理原則(幸福感)を知る』
『働ける喜び(少なくとも嫌でない)』
『職場と家庭が円満である』
『食えりゃいい』
『小さな幸せ、今の幸せを感じられる』
『商売じゃないから本音が言える』

人が生きる上で大事なひとつに『生き甲斐・遣り甲斐』があり、その要素のひとつには『誰かに必要とされる』があり、そのひとつが僕の場合『仕事』なのだろう。

1日の半分以上を費やす仕事に遣り甲斐や生き甲斐は絶対条件、仕事柄もあり夜間、早朝問わず会員さんからの電話1本で飛び起きて動ける体力、気力、健康の維持をしなければと意識するから健康診断も含め健康を意識するし、自由な時間や余暇が取れないから少しの時間でも楽しもうとする。

正月も盆も関係なく1年365日の全ては自分のペースでなく会員さんペースの仕事だから余計な事を考えてる暇も無く、様々なネガティブ思考も湧かず不安も持たず余裕が無いとも言えるけど日々精一杯生きてる実感がある。

また自己満足で続けてる葬儀支援だけど、結果として人助けになり感謝され必要とされてる実感があるからか『堂々と胸を張って生きられる』自分の本質に適合してるから得られる遣り甲斐は人生の特効薬だろう。

僕にとって仕事とは単に生活に必要な収入を得るだけでなく、生き方そのものを大きく左右するものである事から、自分の資質や本質に合う合わないは非常に大きく、この年になっても悠々自適な隠居生活をしたいと思わず出来れば生涯現役を通したいと思ってます。

その意味でも葬儀支援は『死体・法律・各種手続・信仰などに対する偏りのない正確な知識』『千数百件の葬式経験から得た無駄の無い正確な知識と技術』そして『相手の事が思いやれる人生経験と奉仕の心』が必須であり優先される活動だけに過去の人生全てが糧になってる気がします。

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