余命宣告について明確にしておく

我想う支援日誌
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死亡診断書に記載される文字は「誤嚥性肺炎」「臓器不全」「老衰」など非情に様々ですが一番多いのは「癌」から来るものでしょう。

医師の方には叱られるかもしれませんが癌患者に対しては疑問を感じる対処があり、これを感じた最初が姉の死でした『死化粧すら出来なかった姉の死』

当時の僕は癌の告知はしないと母親と妹が決めた事に何の疑問も感じませんでしたが今の僕なら「告知すべきだ」と引かなかったでしょう。

姉の余命宣告は2~3か月、実際は4か月で最低でも3か月間は動けた訳で子供達との時間や逢いたい人とのお別れもできたろう。

母と妹の判断が間違ってるとは言いませんが、じっくり考えてみると姉でなく自分達が楽に過ごせる判断に過ぎないと思えるのです。

癌は終幕まで最低でも数か月あり、これが最大の良さでも悪さでもあります。

『お別れできる期間』=『死の恐怖を実感する期間』だからです。

告知を望まない方もおられるでしょうから事前に告知『して欲しい』『して欲しくない』は家族にも医師にも伝えておくべきでしょう。

余命宣告を受け入れ治療は中止して痛みを取り除く治療のみとした場合・・・

入院したままでも、退院して自宅療養でも構わないが寝たきりでなく残る時間を思うように過ごす事を最優先した時間となる。

食べたい物を食べ、飲みたい物は飲み、行きたい所に行き泊りで出掛ける事もできるだろ。

昼間は大切な人達と一人一人ゆっくりお別れしたり一人の時間は遺言書や自分史を書面に残しておく事もできる。

動き回れる時期、動き回れないが室内でできる事をする時期、ベッドの中で過ごす時期、そして人生の終幕と流れるだろう。

どんなに動き回ってもいつか動けなくなる時は自然にきます。だから後の心配などせず『今を精一杯生きる』ことだけに集中して過ごせばいい。

勿論この考え方は個人の自由ですから――、

奇跡を信じて副作用と戦いながらでも癌治療を続ける

余命を受け入れて残された時間を精一杯有意義に使う

どちらの判断も自分次第です。

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