支えとなる言葉

我想う支援日誌
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当支援センターで3回、4回と葬式をされる家族が年々増えてますが、最近数件から同様の言葉を聞き、2008年の16年前から2024年になった今も、全く変わることなく同じことを言い続けてる事を再認識です。

金が無ければ絶対に無理をするな

この言葉は今年に入ってから葬式された会員さんから数回は聞いており、全員が10年前、15年前の葬式で僕に言われた言葉らしく、あんしんサポートがある限り死後費用を心配しながら生きる必要はないと、この言葉を支えにして来られたそうで、10数年経った今も同じ言葉を聞くと「ホッ」とするそうです。

「16年経っても同じ事を言い続けてるって凄いですよね」と言われますが、最初から本音ですから、健康面、金銭面を始めとした様々な生活環境によほどの事が無い限り例え50年経っても変化することはないでしょう。

無理をするなと言えるプラン創りに生きた16年

結果が出なかったら信用を無くすと思うのか挑戦もせず口をつぐむタイプの人、軽い乗りで口に出し、出来なくても軽く笑って誤魔化すタイプのどちらかが多い印象がありますが、本当に必要だと思った事は自分を追い込む為に公言するのが武井という人間、身近な事で言うと中学2年生から毎日1箱は普通に吸ってきたタバコを50代半ばで「止める」と宣言してから十数年間1本も吸っていません。

「金が無ければ葬式で絶対に無理をするな」「葬式の内容より残る家族の生活が大事」と言うからには、聞いた人達が納得できる葬式プランを創り出し、実践しなければ、口先だけで納得できる具体的な対応策の無い、僕の嫌いな単なる評論家でしかありません。

挑戦して駄目なら修正すれば良い

葬儀支援の各プランに於いては、幸いにも数年掛かっても実現できましたが、結果はどうあれ過程を知る人達なら、例え成功しなくても理解は示してくれるでしょうし、100%でなくても70%でも、50%でも成果は示せるはずですから無駄に成ることはありません。

2008年6月、国保からの葬祭費5万円だけで骨壺に納まれるプランを創り出せれば『一銭も無くても死ねる』事になるから、死後費用の不安を抱えて生きる必要は無くなるとスタートラインに立とうとした時、我々を心配してくれる人達から「無理をせず、まずは10万円の完成を目指し、それでも余裕があれば5万円を目指してはどうか」と言われました。

言ってる事は正論ですが10万円で依頼数が一定数以上あったら、それを5万円に下げる人がいますか? 普通の人なら自分も含め下げませんから、その判断をした時点で5万円火葬プランは消滅するはず、なら初めから5万円を目指して可能な限りの手を尽くしも駄目なら、それが6万円でも、8万円でも設定したほうが最終的に利用者目線のプランに近づけるはず――、だから目標の5万円は変更しないというものでした。

強い意志が人の心に響いたのかも

無理かもしれないと思ったら失敗確率は各段に上がる、まずは自分自身に妥協せず、周囲の温情にも妥協せず、例え数年掛かろうとも、やり遂げてみせると自分自身を洗脳すべく「ならどうすれば」を何回では済まず、何十回と繰り返し行い完成までは一歩も引き下がれないよう何処でも、誰にでも公言して歩きました。

きっとその発言の語調は柔らかくても、芯の強いもので、家族達も納得するものだったから心に響いてくれたのだろうと思うし、16年後も同じ発言を聞けば安堵するのも理解できます。

僕は根が愚図ですから愚図が出せない状況を作ったり、自分を追い込んで背水の陣を敷いて進むタイプですが、皆さんも自分の利点を活かし、欠点をカバーし易い手法を用いる事を勧めます。今回は僕に合った手法を書きましたが、それが誰にでも適合するものではありませんから、自分流の手法を使われると良いでしょう。

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