後悔の無い葬式をした姉妹

我想う支援日誌
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「金」は葬式より生きてる時にを実践

2019年、仕事で当方に来た次女は数日前に都内在住お爺ちゃんの葬式見積りをしたばかりだった事から支援内容と料金を見て余りの違いに驚き入会して帰り、その後当方で家族葬をされました。

あれからちょうど4年、前橋の自宅からお婆ちゃんを搬送、安置後に話しを聞くと毎年数回は定期的に都内在住の老いた両親、お爺ちゃん逝去後はお婆ちゃんとお爺ちゃんの粉骨も一緒に、埼玉と前橋の姉妹家族全員で温泉を中心に泊りで出掛けていたと聞かされました。

「なるほどぉ、それなら後悔は無いでしょ!?」
「はい、私達姉妹だけでなく孫達も後悔はありません。」
「うん、うん、もう最高の葬式はしたんだね。あとは亡骸を温かく送ってあげよう」

こう言い切れる人達は決まっており、多くは自宅で昼夜問わず数年間介護してきた人か、今回のような人限定の言葉、言い方を換えると「葬式とはなんぞや」の真髄を理解してる人達です。

余命数日宣告から24日間頑張ったお婆ちゃん

突然体調を崩し病院で宣告されたのは急性白血病で余命数日、ならコロナで面会も容易ではない病院より自宅で看取ろうと連れて帰り、当方にも今日明日の余命と連絡されました。

それから24日間、娘の自宅で過ごした婆ちゃんは好きな物を沢山食べ、娘や孫と一緒に暮らせたからか「幸せだぁ」と言ってくれたそうで、この24日間は無後悔に向けた最後の仕上げのようでした。

兄弟姉妹の仲が良い事も大事

妹の家に姉の衣類を置くタンスの引き出しがあると聞いただけど、頻繁に来てるのが分り両親からすれば子供達の仲が良いのも心穏やかでいられる訳で幸いしてます。その意味ではお互いの旦那も優しく理解があり、孫達も優しいのでしょう。

温かい葬式になる空気を造るのが僕らの仕事

今回の葬式では家族ができるだけ素の自分で過ごせて、笑顔でいられる葬式の場を造り出す事が僕の仕事、話し方は勿論、生花をいっぱい入れた棺と家族で孫のスマホで写真を撮り、続いて全員での写真のシャッターを切るなどほのぼのとした時間を心掛けました。

無理矢理泣かせようとする話し方、わざとらしいゆっくりした口調など不要、家族は数時間の中で泣いたり、笑ったりしながら過ごすものですからわざとらしい演出は要りません。ってゆーか、わざとらしい演出は自然の良い雰囲気を壊すだけでしらけさせます。

また拾骨はいつものように僕自身が入り、僕も含めた全員が素手で拾って骨壺に納め、粉骨にした一部を各自が小さな小瓶の中に入れ保管します。

端的に言えば、これ以上の葬式は無いと断言できるほどです。

生きてる時は自分が産み育てた子供達や孫達と一緒に楽しい時間を過ごした想い出を積み重ねてくれ、終幕後はみんなで温かく送り出してくれ、各自が少量の粉骨を持って偲んでくれる――、葬式は死後より生きてる時が大事であると教えてくれる参考書のような葬式でした。

すんげー疲れるけど、ほのぼの感のある葬式

毎度の事ですが拾骨が終わり解散するとドッと疲れが出てグッタリする――、場の空気を温かくするとは僕自身が率先して話しを振ったり動いたり、明るい雰囲気を出し続ける必要があるわけで、どれだけ親しくなっても家族や友人ではありませんから疲れますけど、家族の笑顔と感謝の言葉に救われます。

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