令和時代「分相応」の解釈

我想う支援日誌
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入会相談、葬式相談をしていると稀に「分相応が一番」と口にする方がおられ大意は無いのでしょうが、聞きようによっては卑下した言葉にも、本当は違う葬式をしたかったと言ってるようにも聞こえます。

「分相応」広辞苑では『身分や能力にふさわしいこと、釣り合っていること』と書かれてますが令和の日本に『身分制度』などありませんし、この発想は日本に於いて根本的に間違ってるとさえ感じます。

「分相応」≠「身分相応」の発想は時代に合わず「分相応」=「自分相応」のほうがしっくりくると思います。

もっと突っ込んで言うと「身分相応」は自分でなく周囲の目線が主体、社長なのだから、この程度の車に乗って当然とか、社長の葬式はある程度豪華で大人数を呼ぶのが当然と考える人達が多いのも理解できません。

社葬なら全費用は会社が賄うので構いませんけど、家族主体の葬式なら「家族がしたい葬式」が最善で、家族が温かく送れたと思えるのが最高の葬式であって体裁や規模はどうでもいい家族もおられるはずです。

「車」「食事」「洋服」どんな事でも身分や立場でなく『自分の価値観と好みで決める』のがベスト、分相応とは自分相応なのでは?と感じます。

例えば僕が毎日でも食べられそうな食事は『みそ汁掛けご飯』『たまご掛けご飯』『漬物とご飯」などで育ちの悪さ全開だけど好きなものは好き、こってりした料理、パーティー料理は毎日食えません。

サラリーマン時代、社長時代、そして現在でも全く変わりませんから、社会的な地位うんぬんは関係なく身分がどうであれ無関係です。

ようするに日々生きる上で大事なのは周囲の価値観で無く、自分の価値観を最優先する事が毎日を幸せと感じて生きられる秘訣だとようやく気付きました。

起業して少し成長すると銀行を始め周囲が色々言ってきますが、ひとつの例として海外に行く機会が増えると銀行さんが親切心でカードを2枚作ってくれました。

1枚は200万円だか300万円で、1枚は好きなだけ使えますって言われ使い方を聞いて海外で使ってみました。多額の現金を持ち歩く必要は無く買物しても小銭のお釣りも溜らず便利で、結構良いかもと思って帰ってきました。

ところが帰国後1か月くらいすると英語の明細が届きましたが、英語の時点で何の引落しか分らないのに1か月も前だから尚更分りません。

即刻、銀行さんに返却、その後カード引落し以外駄目なものは仕方なくカードを使いますが、基本は即時引き落とされるデビットカードです。デビットが駄目なケースもあるので銀行カードに付帯できるJCBカードも1枚だけ持ってます(JCBは日本の会社だから国内に利益が入る為)

結論を言うと『金が無ければ買わない主義者』の僕には金が無くても買えるカードは向いてません。今の時代はカードだろ!? は分りますが俺には向いてないが『自分相応』なのです。

ぜひ皆さんも『自分相応』の生き方をされると良いですよ。

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