自分の生きる道を探し続けた人生

我想う支援日誌
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順調な流れの時マイナスは無かった

こうして20代から40年数間の流れを書き出してみると、流れにはそれぞれのタイミングがありました。
友人から親父さんが店を再開したい相談を受けた時は、強い政治思考に嫌気がさしてた時期だったから手伝う気に成ったり、経営の勉強がしたいと無職中だったから、30日間だけの運転手アルバイトを引き受けられ、それが美容界に入るきっかけとなってます。

さらに生まれて初めて腹痛で入院する直前に法人設立したと聞かされ、入院中でしたが新規事業の確認ができる時間が取れたし、もし分社の話しが順調に進んでるタイミングなら葬儀支援の道は歩いてません。

もっと遡ればさかのぼ、美容材料商の専務が一緒に退職してたら、全く違う人生を歩いてますから、結果は分りませんが、その場合も葬儀支援の道を歩いてることは無かったでしょう。

ただ美容材料の卸売業は『営業の仕事』、頭を下げ、お愛想、作り笑い、媚びる事が嫌いだから相手が不得意な事を提供するコンサルティングセールスを開拓した事で結果は出せましたが、嫌いなものを好きになる事はありませんでしたから、30数年後の今も続けてたかと言われたらYESとは言えません。

地域一番店にも成った美容室もあり、周囲から羨ましがられた事もありましたが、20年弱の美容業経営を楽しいと思った事はなく、社会的地位、金、世間体や見栄はさほどなく、自分より誰かの為に動いた時のほうが、寝食を惜しんでも意気揚々と動いてたのが分ります。

「俺はこれがしたい」が無いから、その都度、流れに乗ってきた人生なのかもしれません。持って生まれた資質を活かし、生き甲斐を感じられ、日々楽しく過ごせたら最高の人生のひとつですから、そんな道と出逢うまで探し続けた人生だったようにも思えますが、まさかそれが葬儀支援だとは夢にも思いませんでした。

こうして振り返ると自分が走りたい方向へと強行突破をした事は無かったようで「理美容室専用店舗の話しが反故になる」「専務が退職を撤回」「分社の話しが進まなくなった」など、流れが滞るような時は流されてないか、流れる方向へと進んできたようですが、それがマイナスとなった記憶はありません。

今が幸せなら正しい選択

52才の時、蒸発してた父親逝去の一報が八王子裁判所から届いたのがきっかけで、国内初の葬儀支援センター設立してからの16年は「あっ」と言う間と言えるほど充実し、生き甲斐を持って過ごせてますから、いくつもの職業を経た中でしてきた選択は間違って無かったのでしょう。

もし僕が定年後は時々国内外の旅行に行ったり、悠々自適な生活を望む人間だったなら、不正解な選択だったと言うことですから、正解か不正解かは当事者の考え方次第ではありますが、同年代の人達と逢うと自分が思ってる以上に老人が多いですから、生涯現役を目指した人生の選択は今のところ正解のような気がします。

人生の終幕は全く分からない

同年代の葬式は沢山して人の終幕は予想できないのも実感してますから、それがいつ我が身に起こるのか分らないと思いつつ、これだけ人の終幕を身近に感じる立ち位置にありながらも、自分の終幕はまだまだ先だと思うのが人間の心理のようですから、無理に終幕を意識する事なく我が人生を精一杯楽しみたいと思う。

あくまで自己評価ですけど、一番同窓生の多い中学時代は400名、今現在生きてる人達の中できっと俺は幸せな部類であろうと思う。その根拠は第一に糖尿や脂肪肝はあっても普通に動け葬儀支援ができる健康があり、平穏な家庭があり、頼れる仕事仲間がいて、70才になる自分を頼ってくれる会員がいて、毎日やる事があり、時間を作っては小さな楽しみを繋く人生を生きられてる事です。

終幕直前になって「幸せな人生だった」と言いたい

過去を悔やんでも、過去に執着しても、今の人生が何ひとつとして良く成る事はありません。
しかし今を精一杯生きたり、明日を楽しく生きようとする事は可能ですから、そんな想いで過ごす1年間は「あっ」という間、70代になったら嫌なことはせず、我慢もせず、思うように笑顔で生きようではありませんか、但し家族も含め他人に迷惑は掛けないのは大前提です。

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