「寸志」は麻薬のようなもの

我想う支援日誌
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最近立て続けに「ポチ袋」や「1万円」を出され「要らない」「受け取って貰わないと困る」と何回ものやり取りが面倒なのと著書「無信仰者の葬式参考書」にも書いたと思うけど、結構な数の会員さんも見てくれてるようですから改めてブログに書いておきたいと思います。

結論、あんしんサポートで「寸志は要らない」、本音は葬式関連全てに於いて寸志の習慣は廃絶すべき悪習慣であると思ってます。

「理由1」
好意や感謝の気持ちである事は重々承知しておりますが、それが習慣となり、寸志額の増額となり、利用者の差別化に繋がり、業界全体のブラック化に繋がるからです。

僕も含めて人は誰でも慣れが生じるもので、寸志を貰う事が当り前になると、寸志を渡さない人に対する悪印象が湧き、やる気も低迷し、態度にも出るもので、その後は千円で嬉しかったものが『何だ千円かよ』と思うようになり、三千円、五千円、一万円が当り前の感覚へと変化するものです。

葬式は全ての家庭で必ず迎える事ですから、過去の人達が創り上げた悪習慣の為に人的サービスの低下を促進するようなもの、業界全体が取り組むべき事項のひとつです。

「理由2」
かつて2軒のホテルで婚礼美粧の事業をしてた時期があり、1日で各々4件の結婚式なら両家合せて16軒ですから婚礼美粧の代表として挨拶に行くと1万円×16軒=16万円の余禄がありました。

幸いな事に「金」の執着が低い事から頂いた寸志は各着付け室でお茶代にでもするよう置いてましたが、ある時、新郎着付けが終わり、時間があるので部屋の外から留袖の着付けを覗いていると、お客様への対応の悪いスタッフがいて責任者に「あれが彼女のいつもの態度なのか?」とたずねます。

すると「あー、多分寸志を渡されなかったんだと思います」との答えに『あり得ないし絶対にあってはならん事』と愕然がくぜんとしました。すぐに今日頂いた寸志は全て回収して全員で均等に分配するよう指示をすると同時に寸志の有無で接客態度を違えたら次回から仕事させるなと、オーナー命令として全員に伝えさせた経験があります。

自分が「金」に執着が無いからと誰でも同じでは無い事を教えられ、そのスタッフは勿論問題だけど、そんな風に成っちゃう自社の体質にも問題があると思い知らされました。

出された時は一旦断り、それでも駄目なら「うちは帯が掛かってる束だけで十文字の帯なら喜んで受け取るよ」と言うと笑って引っ込めてくれます。ついでに言うと支払い時の「お釣り」も受取りません。

『蟻の穴から堤も崩れる』
初めは些細なことでも、それが当り前になれば、もっと、もっとと成るのが人の心境、職場の金を使い込む人も最初はほんの数千円から、1万円、5万円、10万円、100万円と使い込むようになる訳で当人が悪いのは間違いありませんけど、大金になるまで分らない会社の体質にも問題があります。

偉そうな事を書いてますが僕も普通の人間ですから、貰うのが当り前になれば、渡してくれない家族に嫌悪感を持つようにならないとは言い切れないのです。だから最初から誰からも頂かない――、これを徹底すれば蟻の穴が大きくなる事はありませんので自己防衛でもあるのです。

葬儀支援を始めてから15年間は皆無だけど、海外渡航は旅行と仕事合せて100回以上行ってチップの習慣のある国は、それが当然となり、ろくな対応でもないくせにチップを貰って当然と考えてる人達も沢山いる現実に接してるからか決して良いとは思えません。

日本人が『おもてなし』と言われるのは接客や、もてなし=「金」という感覚でなく『喜んで欲しい』とか『満喫して欲しい』とか、相手が喜んでくれる様子に満足する感性から生まれるものでしょう。

人の死を商売にする事が悪いとは思いませんが、葬式に於いては損得では無い部分、悲しみの中にいる家族に寄り添いながらも冷静沈着な判断やアドバイスの姿勢も無くして欲しくないと思うし、それが温かい葬式にする絶対条件のような気がするのです。

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