俺は葬儀屋にはなれない

我想う支援日誌
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気付けば葬儀支援を始めて13年、立ち上がってから足掛け14年の時が経ちました。

全くのど素人から始まり2020年末までには千数百件の施行と、利用する家族と膝を突き合わせた本音相談は利用者の生活を守る事に執着し続けた日々でした。

元々葬儀屋が好きではなく胡散臭いとさえ思ってきましたから家族と膝を突き合わせる度、業者感覚より家族目線に近づき続けた14年間だったのでしょう。

大黒柱を失いそうな家族や先行きが不安な家族を見ると商売感覚より何とかしてあげたい思いのほうが強く出るのだから良し悪しは別として性格なのだろう。

もっと言えば業界の人達と付き合いが無かった事が葬儀支援に幸いしてる気がします。

利益、儲けの観点から言えば「一般葬」が主体で「家族葬」最悪「直葬」という流れですが一番利益の出る一般葬は支援対象ではないと受けなくなりました。

また圧倒的多数は仏葬式で寺墓所の人達が一番多いにも関わらず、高額な謝礼ゆえに葬儀支援理念とは相反すると菩提寺の葬式も受けなくなりました。

自ら儲かる仕事はことごとく排除してきたのですから大半の業界人や葬儀社から見れば阿保らしくも、お馬鹿にも見えるでしょうし理解すらできないでしょう。

傍からどう見えるか気にした事はありませんが「だから続けて来れた」のは間違いありません。もし普通の葬儀社ならとうの昔に辞たか廃業してたでしょう。

多分葬儀社の人達には理解も出来ず経験すら無いでしょうが本気で「助けて欲しい」「助かったぁ」と口にする人達が後を絶たず相談に来館してくれます。

相談に来てくれたにも関わらず「必ず引き受けるとは限らない」と伝えてから理念、信条、目的を伝え会員ではあるけどお客様ではないと明言するのです。

正直なところ決してオブラートで包んだように柔らかくでなく、強い言い方をして相手の本心を見極めることのほうが多いのです。

それでも相談者に変化がなければ引受けてきました。

一旦引き受けると決めたら後は家族目線を貫くだけで、利益とは逆走することもありますが家族の生活が守れて尚、納得する葬式をするしかありません。

毎回これが当り前の流れで当たり前になると自分で組んだ支援の枠からでる事は無くなり、儲けとは掛け離れた場所で支援を続けることになります。

こうして書くと「なんで?」「どうして?」思われる方もおられるでしょうが、人に頼られ、人の役に立ち、それで食えるのは趣味を仕事にしたようなもの。

うちの千明ちぎらも言ってますが人生60有余年の齢を生きて、今以上に堂々と胸を張り生き甲斐を持てた経験はありません。

今言えるのは「葬儀屋でなく葬儀支援を貫いて大正解」生涯現役で葬儀支援を続けたいと思う。

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