老いて「上昇運」

我想う支援日誌
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69年間の人生をサラッと振り返ると「5才まで母親の顔も知らず」「15才で家業倒産」「父親蒸発で一家離散」と思えば血族との縁は薄く、電車の窓から家々の明かりが見えると『あの明かりの下には温かい家庭があるんだろうな・・・』と何度も思った記憶もあるから内心は寂しかったのでしょう。

自分では普通だから苦労した記憶もありませんけど、今思えば『可愛い子には旅をさせよ』が強制的に実践できた人生であり、その結果として今があるのですから、家族関係の縁が薄くなり、頼れる人間が周囲に存在しない中で生きる事が運気を上昇するキーワードだったのかもしれません。

初めから他人は信用しません

家業の倒産で学んだ事がいくつかあり、ひとつは例え兄弟姉妹でも「連帯保証人」だけには成ってはならん事、あと祖父の言葉で「金があればどんな馬鹿でも旦那様だが、金が無ければどんなに賢い人でも、あの野郎なんだよ」も、倒産を機に蜘蛛の子を散らすように大人達が離れていくのを見て納得でした。

これは名士と呼ばれる人達にも感じたもの、でも金が前提の関係は味気なく好きじゃないからか、自己流対応策なのか分りませんが、最初から他人を信用することはありません。初見の人を信用できるほうが不思議。

16年間一緒に支援活動してきた千明ちぎらでさえ、最初の3年間は信用せず突っ放してましたが、信頼に足る人物であると分れば、僕にもしもの事があっても千明が押し出される事のない立場を造る必要があると、中枢となる経理の仕事を教えて3年、決算まで教えた後は一切口出ししない生活が10年続いてます。

あんしんサポートにいくら金があり、正確な売上も知らず、何処にどれだけ支払いがあるのかも知らず、渡された給与を貰うだけの10年、だから1件、1件の施行で利益も考えず、例え赤字が増えても家族目線を貫けるのは、正確な経理内容を知らなくても任せられる人がいるからとも言えます。

『自分より弱い人に慈悲の心で優しくあれ』

これは幼少期を育ててくれた祖父母からの教え、15才で自分が弱者の立場を否応なしに経験した事で、弱者の心境を経験できた事も葬儀支援の道を切り拓けた要因のひとつ、金持ちがどんなに貧乏な人の事を考えても理解できず、逆もまた真なり、どちらも経験できた人生を活かせる人間のひとりです。

坊ちゃん育ち家業倒産 スーパー業界個人事業手伝い美容業界美容業経営者父親逝去の一報葬式とは何ぞや葬式実態は葬儀屋と寺の利益主体弱者の生活はどうなるの疑問そして葬儀支援という流れは一見一貫性はありませんが、それぞれ仕事の中で教えられたものやスキルが、次の職業に活かせて更なるスキルの習得に繋がる流れは、葬儀支援に必要な礎を30年以上蓄積してきたようなもの。

「運」「先見」「時」が重なって

もし父親逝去が10年遅くても10年早くても葬儀支援など考える事なくスルー、10数名の対象者から千明以外が連れて来られてもスルーでしょうから、自分の人生を振り返ると都度「運」「先見性」「時」など様々な要素が重なっての結果となっているのが分ります。

ただチャンスは必ずしも良い状況で現れるとは限らず、僕の経験で言うと悪い状態で現れるけど、逃げずに向かって行った結果としてチャンスだったと分る事のほうが多いですから、目の前に現れた現象や場面から逃げず前向きに動かない限りチャンスを捕まえられる事はなく「果報は寝て待て」では何も変わらない。

先に恵まれた人生を歩いてる気がする

他人の人生は分りませんが、僕の人生は加齢と比例して上昇してきた気がします。というか50代以降の上昇気流をしっかり捕まえられるスキルや人間性を培うための50年、、と考えると長い訓練期間でしたが、基礎能力の高い人なら短期間で備わるのかもしれません。

金の有無で評価される世間で言う成功者ではありませんが、大事なのは世間ではなく、自分であり、家族も含めた自分の周囲ですから、自分達が幸せだと感じられ、人生の日々を楽しいと感じられ、何となくでなく、生き甲斐を持って生きられることが人生の成功者だと思ってます。

そりゃぁ妄想だと言われそうですが妄想でも良いんです。運が悪いと嘆く人もいますが、自分は運が良いと思うからか、それが妄想だとしても日々充実した人生が生きられてるのは間違いありません。

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