葬儀支援の最大かつ最終目的

我想う支援日誌
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結論から言うと『葬式の概念を変える事』その結果として『誰もが死後費用の心配をせず生きられ世の中にする』ことです。

今は葬式施行もしないとですが概念が変われば自ずと低料金の葬式設定が成され、常識となればほぼ葬儀支援の目的は完遂かんすいするはずです

千数百件の葬式を最初から最後まで全て担当してきた

最大500名ほどの一般葬、数十名の親族葬、家族葬、自宅葬、無信仰葬、直葬系、そして仏式、神式、キリスト教式、他宗教など一通り経験してきた。

千数百件は圧倒的多数の病死、事故死、自死、焼死、溺死、孤独死など綺麗な死体もあれば家族に見せられない状態も経験してきた。

経験を積めば積むほど『死後に騒ぐ葬式の違和感』が強くなったが当初自分達で施行出来ず葬儀社に依頼し客観視したから見えた事だろう。

殆どの葬式は『家族』vs『葬儀社&宗教者』という図式で気合が入っているのは『葬儀社&宗教者』で家族は仕方なく従ってるだけです。

その気合いの裏側にあるのは「自社利益」で葬儀社も宗教者も綺麗事は言うが本心は決して家族の為ではないと大半は思えた。

葬儀社は商売だから当然と言えるが、宗教者の提示する布施が40万円、50万円、60万円と高額な理由が寺の経営が成り立たたないからである。

その中には上納金も含まれるし生活が成り立たなかったら、更に仕事をするのが一般社会の常識だろう。

事実あんしんサポートの料金設定は我々の生活を主軸にしてない。最初の設定が国保からの葬祭費5万円で可能な葬式だったからです。

支援に自分達の生活資金を主目的で算入したら支援ではなくなる。なら別に稼ぐか廃業すれば良いだけの事で寺も例外ではない。

さて今回の『葬儀支援の最大かつ最終目的』に話しを戻すと千数百件の葬式を施行して感じるのは葬式は家族で行うものだという事です。

世間の広い人は家族でお別れをした葬式後に一般のお別れ会をすれば良い訳で遺骨の葬式なら時間の余裕があるから全てに於いて家族主導となる。

様々な事情や価値観で現行の葬式を拒否する家族に対し苦言を呈する親戚、隣保、葬儀社、宗教者が居なくなればそれで良い。

これらの人達より、あんしんサポートのほうが遥かに家族の立場で考え、発言し、動いてるのは間違いのない事実だろう。

文句を言う親戚とは付き合わない。脅すような宗教者とは縁を切る。商売しか考えない葬儀社には依頼しない。これを徹底すれば家族目線の葬式は実現する。

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