葬儀支援は『温故知新』なり

我想う支援日誌
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温故知新おんこちしん昔の事柄を今また調べなおしたり考えなおしたりして新しい道理や知識を探り当てること

昔はえき病(伝染病)が流行ると家の周りにお札を貼って伝染病を防いだつもりになってた時代がありました。今でも火災除けの札を貼ってる家もあるし、厄年の人は厄除け、毎年新年には家内安全、無病息災などお守りを求める人もいる――、

医療関係者なら「そんなもので病気は治らず病気は防げない」と断言、その通りでお札を貼ったら火事に成らないなど無いと言い切れる。かくいう僕もお守りや、お札を信じてる訳ではないけど元旦早朝、家族と千明ちぎらの家族それぞれにお守りを買ってくる(信じる人は授かると言うだろう)

1人800円、10人でも8,000円、新年恒例行事のひとつ、簡単に初詣して1杯200円の『甘酒』を飲むと正月が来たと実感するだけの事、初日はつひに手を合せたり、神社や寺で参拝したり、お守りを買ったり、5,000円で厄除けや商売繁盛の祈願をして貰うなど恒例行事として無理の無い金額、それはそれで良いだろうし全く問題ないが、もし祈願料5万円と言われたり、お守り1つ1万円と言われたら要らないし買わない。

この辺りは理解も納得もできる人のほうが多いだろうが、これと全く同じレベルで昔ながらの霊感商法が2022年の今もまかり通ってるのが『葬式』です。霊感商法の代表的なものとして「この壺を持っていれば幸せになれます」みたいな話、冷静でまともな精神状態なら葬儀屋、坊さんだって胡散臭いと思うだろうけど、それを自分達がしてる事に気付かないのが理解できないし、そんな戯言でも恐怖のニードストーリーに引き込まれた人は信じてしまうものです。

ニードストーリーは購買心理を突いたセールストークの事、小さい子供のいる家族用にサイドドアの支柱がなく開口部が広い車のコマーシャルもそうですが、今のままで育ったら子供の将来が不安になる事ばかりを例に挙げ「だから2才の今から英会話をさせなければ駄目なんです」これが恐怖のニードストリーの典型です(内容はあながち間違ってませんが、その教材だけで英会話ができるようにはなりません)

「読経して戒名を付けねばあの世に逝って浮かばれない」
「自分を産んでくれた父母の供養しない、それでも人間か!?」
「旅支度もさせずに四十九日の旅をさせる気か?」
「故人の付き合いのあった人達と最後のお別れもさせない気か?」
「普通はこあする。一般的にはそうする」

などなど、これらは全て恐怖のニードストーリーであり霊感商法そのものです。もっと言えば「葬儀屋の担当者(坊さん)あんた死んだ事あるのか?」ってことです。実体験からの話しはひとつもない。

御守り、お札のように数百円、数千円の事なら何も言う気はありませんが、布施だけで30万円、50万円、100万円、葬式代でも100万円となると話しは別、その金は誰が誰に使うの!? 故人は死んで使えませんし、あの世に金はありません。『葬儀屋の利益』と『寺の利益』で使うのは特別な能力がある訳でもない普通の人間が使う。

商売として儲けたい人達のために家族が大金を出すナンセンス。価値観の問題ですから、それを良しとする人、金が余ってる人なら構いませんけど、価値観を感じない人、余裕の無い家族、年金暮らしの家族、無信仰者の家族は目を覚ましたほうがいい。

温故おんこふるきを温めて)』は祖父母、父母の教えや生き様や教訓を活かす事であって、高額な布施を当然の如く要求したり、派手さばかりを追求し高額悪習化した葬式を行うことでなく、見栄を張ったり世間体を気にする事でもありません。

知新ちしん(新しい知識や道理を見つけ出すこと)』人の死は人類誕生から700万年受け継がれた『自然の摂理』で決して特別な事ではない。葬式は故人である祖父母、父母の教えや反面教師を糧とした人生の出発点とする事が供養であり、人生の道理であると千数百件の葬式施行を手掛けてつくづく思う。

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