マスコミの印象操作に気付いたでしょ!?

我想う支援日誌
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今回の自民党総裁選は、僕も含めオールドメディアの印象操作を如実に実感させられた人が多いんじゃないかなぁ、新聞、雑誌、テレビは個人でなく組織の思惑を提供し見る側は洗脳されるだけでしたが、インターネットの普及で自由に発言できる時代になり選択肢が格段に広くなった影響大です。

僕はすでに自社の思想で書く新聞は読んでませんが、この数年はテレビ、それも報道系の番組を殆ど見なくなったのは洗脳というか印象操作を強く感じるようになったからです。

誰でも報道できるデメリットとして『嘘・フェイクへの注意』はありますけど、片寄った報道にならず自分の意思を出せる時代になったのは非常に良い傾向であり、国会議員の資質など分からなかったものが『なるほどぉ』『なんだこいつは』など分かり易くなったメリットも大きいです。

今回の自民党総裁選はその辺りが非常に明確になった実例ですから、自分達の生活は自分達の声で守らねば、国民の生活など眼中にない国会議員、日本より他国優先の国会議員も沢山いる事も分かりましたからね。

葬式の在り方も非常に良く似ています

「葬式は宗教儀式」とか「直葬して後悔」とか色々言われてますが、ひとつひとつの記事を自分で冷静に考えてみましょう。そこから色々が見えてくるんじゃないかな、検証してみます。

『葬式は宗教儀式である』
無信仰者の僕からすれば「NO」は当然、僕も大半は仏教葬の中で生きてきましたから、葬式=仏教のイメージになるのは理解できますけど、それは過去の慣習でしかなくハッキリ言えば仏教の葬式が悪い訳でなく高額な布施を要求する僧侶が問題なんです。

30万円・50万円・80万円・100万円と高額な布施を当然と思える神経の人が宗教者を名乗るべきではありませんし、宗教者でなく僧侶という商売なら非課税などあり得ません。

『直葬して後悔』
この言葉は何百回と聞いてますけど実際に後悔した人と一人も逢っていません。しかし高額な葬式をして後悔してる人達は何百人と逢ってますから「逆じゃねぇ?」が実感です。

沢山の葬儀屋が動画で自己主張してますけど、言ってる事と実体が=なら構いませんけど、そんな葬儀屋は殆どありませんから自身で賢察するべきです。

最近気づいたのですが葬儀屋に多い発想のひとつとして『次の葬式なんて考えず釣れたらバッチリ儲けろ』的な思考があることです。毎年葬式する家族はおらず次の葬式は10年後、20年後もザラですから嫌われても構わないと追加させたり、説明すらせず加算なんて事もあります。

この発想の根底には『次の葬式は世代交代してる』それと『以前頼んだ葬儀屋としての記憶は残るから再依頼され易い』という点があります。

離檀料を肯定する記事ばかり

離檀料で検索すると「相場」の文字が多いけど、これって離檀料を肯定してるわけで、マナーとして払いましょうとか、相場は10万円~20万円の布施ですなど書かれてますが、結論から言うと離檀料を払う必要はありませんし前提が改葬なのが理解できません(改葬とは墓の引越しです)

墓守がいないからの墓閉じが大半だから「散骨」か「散骨+手元供養」が多いのは当然、散骨も手元供養も改葬には当たりませんので行政の許可は無用だし、寺がゴネたら「なら何もしません」と会費も払う必要はない、墓は更地にして戻すの決まりに筋を通す人を拒否したのは寺だからです。

墓所の永代使用権を購入する際の契約書に記載があれば別ですが、おそらく離檀料の記載はありませんので支払う義務は法的にもない、過去3回(全て高崎市の寺)から離檀料を請求されたと相談に来られた会員がおりましたが誰も払わず墓閉じしています。

金が余ってるなら払えば良いけど、生活が苦しいのに、そんな費用を出す必要はない。そもそも檀家でいた間は毎年檀家料を払い、時には修理だ建立だと寄付もさせられてたのですから閉眼読経の布施1万円~3万円(最高5万円迄)は払っても、それ以上払う必要はありません。

しかし離檀料を肯定する葬儀屋関連は寺の機嫌取り、当方は菩提寺の葬式を受けませんから、こんな発言ができるし当支援センターの主目的は残る家族の生活を守る事寺を守る事ではありません。

過去には寺墓は人質を取ったようなものと言った住職もいましたが、葬儀屋や寺の常識は一般人には非常識ばかりと感じるのは僕だけでしょうか!?

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