前回書いた会社ですが、現在は存在しておりません。最終的な倒産理由は分りませんが、勤めて数年後会社の方針で社長と衝突して退社することになりました。
入社から数年後、仕入れの支払いで社長が金策に走り回ったり、回収した金を何時に会社に持ってきてくれと言われる立場になってた事から、社長、専務と一緒に経営方針について話し合う機会がありました。
好景気が永続する過去の歴史は無く、好景気に金策に走る会社が不景気に突入したら存続できるはずが無いと、手形仕入れから脱皮して、現金での低価格仕入れを見据えた経営方針への転換を主張、さらに不景気が来る前に掛け売りから、現金販売への移行も併せて主張した。
簡単に言うと大の大人が車で注文を取り歩き、掛け売りで回収率が75%以下なら資金不足になって当然、ならば理美容室専用店舗を開設し来店して貰うシステムを導入、現金仕入れで利益率を上げ、現金は値引き対象とする事で掛け売りを無くす方向に転換すれば資金ショートも免れるというものです。
不景気に備えた経営
まずは、そう遠くない時期に必ず不景気が来るから、好景気のうちに手を打っておくべき対策として、理美容室専用の店舗兼倉庫を設置すれば、現金収入が増え、商品管理的にも不明ロスは確実に減らせ、小さな理美容室は自分で買いにこれるから、ルート営業から外せて効率化も図れる。ところが・・・・
何馬鹿なことを言ってるんだ日本は経済成長し続けるんだ
えーッ、、近未来予測はそこから違うの!?
世界の歴史にも繁栄し続けた国なんて無いのに、日本は神の国とでも思ってるのだろうか、、、
思考の基本から違うと容易な事じゃあ理解しねぇだろうな・・・
それは社長の希望であって、歴史を見れば経済成長し続けた国はひとつもない、社長がどう考えるのも勝手ですけど、社員と家族の生活を守るのも社長の責任、この好景気で支払いに走り回ってるようでは不景気に成ったら倒産するしかないでしょ。
この手のタイプは遠回しに言っても理解しないと思い、単刀直入に現実を言われ反論出来ず、その場は渋々でしたが来期は理美容室専用店舗を造り、現金販売への道を模索するとの結論に達しました。正確に覚えてませんが、確か現金販売の概要は以下のような内容だったと思います。
「1」来店、持ち帰り、現金支払いなら15%割引、販売は全て1個単位でOK
「2」来店、配達、現金支払いなら10%割引、販売は全て1個単位でOK
「3」来店、発達、配達時支払いなら5%割引、販売は全て1個単位でOK
「4」御用聞き、発達、月末支払いは定価販売、販売は全て1個単位でOK
「5」2カ月以上の掛け売りは受け掛け金0円になるまで販売停止
約束を反故にした事で衝突、退社
しかし翌年、そんな素振りは見えず、確認すると、のらりくらりとしてましたが、そのうちうっとおしくなってきたのでしょう。事ある毎に衝突が始まり、専務も僕が辞めるなら一緒に止めるというので2人が揃っていれば、不景気が来ても対応できるディーラーが作れるから社員と家族は守れると動き出しました。
最終的には専務の奥さんが反対したようで、直前になってリタイヤしたので一人での退社、元々2人が揃っている状態の設定でしたから進路は断念するしかありません。彼の人生は彼と家族の人生、絶体に成功するかと言われたら、多分とは言えても絶対とは言えませんから、彼には愚痴ひとつ言わず退社しました。
正直、途方に暮れましたが、嘆いたころで意味は無いとアルバイトを3件で20万円ほど稼ぎ、家族が喰える状況だけは維持して一年ほど経ったでしょうか、業界内のかつての顧客から「戻ってこい」コールを沢山頂き、ならばと美容室でなく理容室を相手に材料を納めている会社に連絡して入社、衝突して退社とはいえ、さすがに後足で砂を掛けるような事はできません。
社長・常務は僕の事を知ってました
面接で伺うと「お宅が武井さんですか」が最初の言葉でした。
美容と利用は似て非なる業界なのに何で知ってるのか聞くと、何軒もの開店依頼を僕にひっくり返されたと聞かされましたが、当の本人はそんな経緯があった事など初耳でした。
給料はいくら払えば良いかと聞かれましたが、僕の年齢の新人給与基準で結構ですし、もし予想より力量が無いと思ったら下げてくださいと伝えると、営業車は新車を用意するから一週間ほど待って欲しいと言われましたが、顧客は一軒も渡されず、全て自分で開拓、給与については1年間で3回上がりました。
勝手にメーカー交渉して売り方を見せた
床屋は使用する材料量が少なく、パーマ液1本、粉石鹸1本と注文するのが普通、美容室はケース単位で販売してましたから、言葉より見せたほうが早いとメーカーと交渉、2割添付で仕入れると、注文してない材料がドカッと入荷したのを知った社長は当然「誰か注文したんだ!」と言い「僕です」と伝えた。
「僕が1人で販売できる分しか注文してませんから問題ありません」と伝え、宣言通り販売、この流れを何度か続けると、社長から「武ちゃんの販売方法をうちの営業達にも教えて貰えないかね」と言われ、定期的に社員勉強会をしたり、開店の話しがあると同行したり、メーカーと交渉したりと、いつの間にか美容部のトップに立っていた事もあるのでしょう。最初の役職が取締役美容部長でした。
入社から数年後、以前お世話になってた会社が倒産したと聞き、社長が「あんなに借金してたら駄目だな」と言ったのを聞いて『だろうな・・・』とは思いましたが、自分が在席してた当時、できる限りの提案と対策も伝えましたから、僕の意見より社長自身の判断が正しいと思ったのでしょうし、残った専務も同様の判断をしたのですから、それはそれで仕方のない事と思えたし、精神的な負担はありませんでした。
トップは三人、じゃんけんの関係がベスト
社長と常務は僕より4つ年上の同級生で友人だったそうで力量もある人達、いつの間にかトップは3人態勢となっており、3人の共通点は仕事馬鹿、たまに飲みに行っても女性が同席するグラブでも、お姉ちゃんは要らないと、気付けば仕事談義になってるような3人でした。
社長・常務・僕はグー・チョキ・パーのような関係で経営には最適だったと思います。社内や会議では上司ですから当然、敬語で話しますが、3人だけの時は「そんな事ねぇよ」「これじゃ駄目かな」「駄目だな」という感じ、そこには同じ方向を向いた仲間関係で、社長は酔っぱらえば「武ちゃん、俺は日本一になりてぇんだよ」と泣く事もあり「成りゃあ良いがな、俺らは何度も聞いてるから社員に言えよ」といった感じでした。
美容室は月火連休はありますが、日曜日は大半が仕事ですから美容室から、予想外の来客で材料が無くなった場合でも対応できるよう日曜日に休みはとらずにいると、社長から「武ちゃんさ、理容は日曜休みがあるんだど休んでも良いかね」と言われましたから休日等は僕が仕切ってたのでしょう。
社長は頭の回転も早く、お客様の前では腰が低く、商才もあり商人そのもの、その反動もあるのか出来の悪い社員にはきつい面のある人でしたから、それだと社員が怯えるから、その役は我々2人に任せて、少し良い人を演じてたほうが良いと説得、とは言うものの僕も仕事に入るときつい一面がありますから、そのクッション役が温厚な性格の常務という流れだったと思う。
社員の中から「うちは社長が2人いる」との声を耳にしたこともあり、30代前半は今思えば上司に対しても生意気な口もきいてましたが、社長も常務も尊敬してましたから、きっとその辺りは感じてくれたんだと思う。
営業の仕事を好きになる事はありませんでしたが、会社というか上司に恵まれた事で活き活きした日々だったと思います。それでも35才の時に偶然の流れから起業、それから27年後、その社長は66才で癌で亡くなり、息子さんの出来もよく会社は順調に経営しておられるようですが、飲んでは夢を熱く語った仕事談義を振り返ると、突然の癌宣告で人生の幕を閉じるのは無念だったろうなと思います。
その社長が逝去した時、すでに2千件近い支援施行をしてこともあり、改めて人間はいつ終幕を迎えるか分らない、若い時なら未来に向かって生きますが、一定年齢に達した人達は未来より「今と近未来を生きるべき」と教えてくれた社長の死でした。
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