葬式を考えてみよう

我想う支援日誌
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葬式を真剣に考えた事ある?

多くの人は慣習や流れでしているだけで『葬式とはなんぞや』と改めて考えた事すら無いでしょう。葬式は葬儀屋と寺に依頼すれば全て段取りしてくれる代わりに高額な費用が掛かる行事、個人的には不要な気もするが両親や親戚の手前もあって地域の慣習に乗っ取って行うものである。

これが大半の日本人の心境、僕自身も52才9月までは疑うことなくそう思ってましたが、蒸発してた父親終幕の流れを聞かされた時から、人生で初めて葬式について真剣に考えたり、調べたりしましたが無信仰者だから尚更のこと、1か月調査しても納得のいく回答は得られず、疑問ばかり積み重なる結果でした。

俺が納得できる葬式が無い

誰でも死ぬのに高額な費用は駄目だろ
最初に驚いたのは葬式に100万円~300万円ほどの高額な費用が発生する事、費用の内訳を調べると30分ほどの読経と戒名授与で宗教者謝礼30万円~100万円には「はぁ?」としか思えず、今の時代にも拘わらず戒名にランクのある事が納得できず、戒名毎に謝礼額が異なるのは解せず「高過ぎる・あり得ない」の思いしかなく、葬式の時だけ付き合う寺を地域で守る価値があるだろうか?

無信仰者を宗教儀式で送る違和感
無信仰者の葬式なら『火葬だけで当然』他に設けるとすれば、お別れの時間くらいで何をどう考えても宗教儀式は要らない――、当支援センターに来館した人達の90%は無信仰者と明言、日本全体でも70%は無信仰者と言われるのに宗教儀式の葬式が多いことに違和感を覚えた。

葬式は家族と親交の深い人達で送るべき
葬式の主役は家族や親交の深かった人が当然、されど家族は雑用係のように走り回り、親交の深かった友人達は部外者扱いされ、普段付き合いの無い親戚は「来てやった感」まるだし、葬式は故人の事など知らない宗教者が主役のように振る舞い、話しだけの立派な法話などドン・キホーテのようだ。

豪華(高額)=供養の心であるはずがない
葬儀屋は商売だから理解できない事もないが、豪華=供養のような霊感商法と誘導商法で丸め込み、払うのは家族だから――、と無責任な対応、金が無ければローンを組む葬儀屋もあり、60代の老女が亭主の葬式ローン返済のためにパート勤務を始めた人さえいる。そもそもあの世に金はない、大事なのは心であり、残された家族が笑顔で過ごし続ける以上の供養を僕は知らない。

納得できる葬式を創ればいい

父親の終幕の流れに感動すら覚えた無信仰者の僕でしたが、その視点から納得できる葬式はなく、葬儀屋と寺の利益や生活を守る為の手段として、利用されてるとしか思えない葬式の実態には強い怒りさえ覚え、それが当然と思わせる洗脳の歴史は凄いと関心しましたが、高額な葬式で人生を壊される人もいるのです。

家業倒産で人生はいつ何が起こるか分からない経験をしており、自分や嫁さんの終幕時に余裕が無い状態だったら――、と考えると明日は我が身『金が無くても死後費用の心配をすること無く生きられる世の中を創れば良い』これが葬儀支援センター設立の引鉄ひきがねでした。

自分達の価値観に合う葬式を考えておく

余裕があったり、見栄が優先される人は500万円でも1千万円でも好きにすれば良く、葬式の心配をする必要はありませんが、僕のような発想の人、余裕の無い人は自分の価値観や事情に沿う葬式の在り方を、家族全員が元気なうちに考え依頼しておき、もしもの時は実行すれば良いだけです。

16年前は直送は間違いとまで言われた時代、僕の価値観に合う葬式をしてくれる葬儀屋は皆無、なら自分で創り出せば良いと走り続けた16年、葬儀屋勤務経験ゼロ、葬儀屋の概念と知識もゼロ、全ては自分や家族、利用者の本音だけを形にしてきたから今がある。皆さんもその発想で良いんです。

全てオリジナル

ホームぺージ・パンフレットをしっかり読んで貰えば分りますが、当支援センターの全プランと内容と料金・遺骨・墓・死後手続きなど、人の死にまつわる全ての設定がオリジナル独自のものであり、葬儀屋が何をどうしてるかは気にした事さえありませんけど、利用した2千件以上の家族の本音は活かされてます。

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