あんしんサポート葬儀支援センター 著書:無信仰者の葬式参考書

拘らない事に拘る

我想う支援日誌
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一昨日、国交省依頼で当社所有山林の境界線確認があり片道90分のドライブの途中で同級生でも見た目の格差が20年以上あるという話題になった。

昭和29年(1954年)生まれの僕達は67才、68才(文字にすると押しも押されもしない完璧な爺さんだと再認識させられる)ところが見た目や印象は50代~80代まで差があると千明は言う。

僕の同級生が訪ねてくると毎回『本当に同級生!?』と思うらしいが「歩き方」と「話し方」の違いが著しくいちじる違うらしい。

80代に見える人は上記の他にも『首に縦シワがあったり』『手の甲』がいかにも老人という感じに見えるらしいが手の甲など改めて見たこともないので、写真に撮ってサムネにしてみた(写真で見ると小皺がいっぱいだ)

そう言えば最近とみに家族から「若い」と言われるようになったが葬儀支援と結び付け難い67才という年齢のせいだろう。

葬儀支援の一部は葬儀社同様だから、突然夜中に起こされ病院に行き故人を担架で運んだり365日無休と聞けば、せいぜい50代の人と思って当然でまさか67才の爺さんだと思わないからだろう。

それが「本当ですか?若いですね」の言葉になっているのだろうが、話した印象も67才と感じないのかもしれない。

「若さを保つ秘訣」で検索すると「食を含む規則正しい生活」「適度な運動」「睡眠時間」など僕の生活とは真逆な文章が出て来る。

記事の多くは科学的な根拠だろうが、真逆の生活でも若く見えたり感じられるのは『持って生まれた資質』と『拘わらない性格』だろうか――、

これは憶測おくそくだけど若く在りたいと思い続ける顕在意けんざい識は「自分は老いた人間」と『潜在意識』に植え付けてる事にならないだろうか。

早寝、運動、生活、食事など何事をするにも「老けない為に」の前置きがあるとしたら無意識に「老い」を意識してる事にならないだろうか。

資質があるとしたら両親に感謝しかないけど『拘わらない性格』は人生の中で生きるすべとして身に付けたものだろうと思う。

サラリーマンは会社が決めた拘りである信条や社訓に縛られるが、本気でそれを実行してる人などいるだろうか、自分のサラリーマン経験では皆無である。

社是、社訓、信条、目的などは経営者の拘りでしかなく、自分の経営者人生でもわずか50人の社員でさえ浸透させる事はできませんでした。それがブログにも書いた『我が店はお客様の為にあり』です。

この言葉は単純に捉えるらしく我が侭を聞く事と勘違いしたり、サービス内容がその時、その時で変化すれば最終的には信頼を無くし顧客を減らす事になるなどは理解できないスタッフが大半だった。

それと俗にいう向上心や前向きな拘りは、なぜか自分を苦しめる結果ばかりで自分で自分の首を絞める必要はないと思う。

だから、あんしんサポートは理念、信条、目的全てを共有できる2名で続けており、改めて読んで貰えれば分るけど自分や自社の事で無く対象者を限定し明確な目的にしてあります。

「理念」
「誰もが、死後費用の心配をすることなく、心穏やかに生きられる世の中にしたい」
「信条」
葬儀は大事、でも残る家族の生活はもっと大事、だから絶対に無理はさせません
「目的」
「事前相談をした後は、死後費用の心配を一切することなく安心して生きられること

「現行の高額な葬式に拘るな、例え金が無くても無理はせず葬式より残る家族の生活に拘われ、死後費用より金は生きてる時に使え、どうすれば良いか事前相談で教えるよ」と書いてあるんです。

葬式、信仰、慣習、世間体、見栄、こんなものに拘るから苦しくなるんで、まずは拘らない自分になれ、なぜ拘る必要が無いか事前相談で教えるし、話し合ってみような――、ってことです。

僕の著書本には『人は執着を捨てれば楽に生きられる』の文字が裏表紙に書いてありましたが、結局、拘りは自分を苦しめるんです。

葬式の拘りより残る家族の生活に拘る選択をした会員さんが葬式後も良かった間違って無かったと思えるよう我々は『拘らない事に拘る』んです。

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