偉人から学べるたったひとつの事

我想う支援日誌
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偉人の発想はできないけど

当り前のように見たり使ってるテレビ・電話・パソコン・自動車・飛行機など、最初に考えて発明した人達のような発想は到底できず、目に見えない電波を使った無線機類など説明を聞いてもチンプンカンプンな凡人ですから、偉人の著書を読んでも格差の違いで落ち込む事はあっても参考になるものはない。

ところが世の中には偉人の真似をすれば偉人になれるが如くの著書に溢れているが、偉人と呼ばれる人達で誰かの真似をして事を成した人は皆無、分り易く言えば、それはその人だから出来た事で凡人が真似した所で挫折しかないのは火を見るより明らかです。

と、これで終わったら単なる否定のネガタィブブログでしかありませんが、多くの偉人に共通し且つ、我々でも真似できることが、たったひとつだけある事に気付きました。

失敗・成功とさえ考えない

「失敗したところで止めてしまうから失敗になる。 成功するところまで続ければそれは成功になる」と言ったのは、経営の神様とまで言われた松下幸之助さん「成功は99%の失敗に支えられた1%だ」とっ言ったのは本田宗一郎さん、「天才とは1%のひらめきと99%の努力である」と言ったエジソンさんに共通する。

まず「ひらめき」、こんなものがあったら便利、こんな事が出来ないだろうか、と言った類の発想、この辺りは子供達が描く絵や遊びの中にも溢れており、空飛ぶ自動車、空を飛べるマントなどもそうでしょう。更に、ひらめきを具現化するには失敗に継ぐ失敗でも折れない心、、と言うより完成するまで没頭できる常人離れした執着心が共通してると感じます。

特に「失敗したところで止めて‥‥」の言葉は納得、ただ凡人の僕の経験則で言わせて貰うと、葬儀支援で最初の目標は、一銭も無くても不安なく生きられ、不安なく死ねるには国保葬祭費5万円だけで骨壺に納まれるプランを創り出せば良いんだと単純なひらめきでしたが予想外に難しい事でした。

倍額10万円でも不可能から始まった目標は今考えても不思議ですが『出来ない』とか『断念』とか『できるだろうか』など中止する発想が一度も無かったから3年後の完成に至れた気がします。もし、無理だとか難しいと思いつつも頑張らねば的な発想だったら挫折してた気がするんです。

周囲の人達からも絶対に出来ないと言われてたにも拘わらず、何故、できないと思わなかったのか、完成までの3年間と文字で書けば簡単だけど、試行錯誤しながらの3年間は決して短くは無かったはず、なのに長い時間を掛けた記憶も印象もありませんから、5万円火葬プランはそれだけ没頭できるものだったのでしょう。

きっと偉人の人達も出来るとか、出来ないとかでなく完成だけを目指し続けた結果じゃないかと思うんです。これだけが偉人に学べる唯一のもの、だから自分が没頭できる事をする――、に尽きる気がします。

趣味に近いものだろうな

葬儀屋は嫌いだけど、弱者対象の葬儀支援は僕にとって趣味のようなものなんだと思う。だから没頭出来たり、夜中に起こされたり、休日もなく24時間体制でも嫌に成らないのは、釣りが趣味で早朝か渓流を歩き回ったり、登山が好きで高山病になったり酸素ボンベを背負っても登ったり、自費で被災地に行きボランティアする人達も、それが生き甲斐のひとつとなる点は同様でしょう。

偉人は決論として成功者ですが、各々が好きだからなのは共通だと思う。あなたのしたい事が損得抜きで没頭できることなら、成功したり、偉人と呼ばれる可能性もあるけど、頑張らねば――、と考えなければ出来ない事なら、気が遠くなるほど失敗しても続けられるほどの没頭は無理でしょう。

また成功したから偉人ですが達成までは変人と称されたはず――、そう思いませんか? こんな僕でさえ17年前は葬儀屋は勿論、周囲の人達から変な人と言われた経験がある訳で、周囲の評価はどうでも良く、初めは自分が対象とする人達からも胡散臭いと思われても構わない人で無ければ走り切れません。

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