ブログヘッダに顔写真を乗せるわけ

我想う支援日誌
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本ブログのヘッダには、著者である僕自身の顔のアップを掲載、お見苦しくて申し訳ありませんが、書く内容が行政であれ、宗教者であれ、葬儀社であれ、誰に対しても本音で書き続ける気概の現れであり『僕が書いてます』と堂々と顔を出すのが最低限のマナーと責任だと思うからです。

かつて葬儀支援を始めた当初は布施が高過ぎると言えば住職と名乗る人から『傲慢ごうまんだ』とのクレームが入ったり、追加必須プランなのに追加不要の文字を使う葬儀社商法は詐欺と言われても仕方ないと言えば『素人が何を言ってる』的なクレームも多数ありました。2022年12月現在、10年以上はこの手のコメントやメールは皆無です。

そんなメールを頂く度「何を言おうと自由ですが、僕は何処の誰か名乗り、顔写真まで出しているので、ご自分も何処の誰か堂々と名乗れば全てお答えしますが、名無しの権兵衛と話す気はありません」と書いて送信してましたが1度たりとも返信が来たことはありません。

父親の教えで「何をするのも自由だよ、ただ自由の裏に責任がある事だけは覚えておきない」というのがあります。家業倒産で家族を捨て蒸発した父親ですから説得力には欠けますが教えは間違って無いと思ってますので、自分の発言に責任を持つ意味でも、当方会員さん達に対し事前相談した時に聞かされた当方の立ち位置や姿勢を貫く意味でも堂々と顔を出す事が自由の裏にある責任だと思っています。

ネットの良さでもあるけど、無責任な発言を増長させてるのが『匿名・顔伏せ』、暴言で命を亡くした方々も沢山いるのがネットの世界だけど「イジメ」はネットに限らずリアル社会も同様で個々の人格や品性の問題ですから、それをどうこう言うつもりはありません。

反面ネットが普及した事で新聞記事やマスコミの偏りや民意誘導の実態、政界や政治家の実態、世界情勢など真実を知れる貢献度は高いと思うし、ネットやマスコミが必ずしも正しい訳ではないと分ったり「事実」と「嘘」を見極める目が必要である事も教えられ情報収集スキルの向上にもなってると思う。

顔が知られる事は日常生活に於いてマイナス要素のほうが各段に多く、政治家になる気もなく、目立ちたい訳でもないけど自分の意見や主張に責任持って発言してます――、という主張なのです。

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