『我が人生の原理原則(幸福感)を知る』

我想う支援日誌
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今回は枠内2番目『我が人生の原理原則(幸福感)を知る』ですが、一連の内容は全て僕自身の事ですから皆さんは『自分なら――、』と自身に置き換えて考えてみてください。

『過去の人生を振り返る』
『我が人生の原理原則(幸福感)を知る』
『働ける喜び(少なくとも嫌でない)』
『職場と家庭が円満である』
『食えりゃいい』
『小さな幸せ、今の幸せを感じられる』
『商売じゃないから本音が言える』

今回以降は全て初回内容の詳細記事となります。
人生の最大にして最終目的は『我が人生を謳歌する』ことだと思ってます。もっと端的に言えば精一杯楽しむ事であり、幸せだと感じられる日々を生きたほうが利口です。

貧富の差、肉体的な健康の差、生まれた国の差など全てに於いて違うのですから人生は平等ではありません。されど嘆いた所で何も変わりませんから自分にある条件を最大限活かして楽しむにはどうすれば良いか、自分にとって幸せとは何かを考えます。

朝目が覚めて、トイレに行き、シャワーを浴びると家族に送られて出勤、仕事場に到着すると千明がいて「おはよう」の挨拶、その後は葬式も含め日々すべき仕事を進め、適当な時間に昼食や夕食を摂り今日成すべき事が完了すると時間は様々ですが自宅に戻って就寝――、こんな極々普通の一日が過ごせる事が『幸せの原点』だと思ってる。

自分にとって平凡な一日を過ごすには「自身や家族や周囲が健康」「自分と周囲の精神面が安定」「突発的な事がない」「普通に食える余裕」これらの諸条件を満たさなければ不可能だから僕にとって究極の幸せとは『平凡な日々』なのだと思う。

その前提があって、空いた時間があれば、景色の良い場所に行っておにぎり食べたり、苺狩りに行ったり、今日は何食うかなぁと外食に行ったり、カラオケに行ったり、時にはスロットを打ちに行ったり、こうしてブログで好き勝手書いたりもできる訳です。

葬儀支援を始めて15年間、旅行には行けず休日もありませんが、葬儀支援という仕事が自分本来の資質に適合しているから苦にならないのだろうと思うと適職、天職の選択は人生に於いてとても大事と遅ればせながら52才で教えられた。

普通の人でも人生1/3は仕事、我々は人生1/2以上が仕事の時間と考えればおろそかにも適当にも妥協もできない事のひとつなのだろう。遅咲きだけど天職に巡り合えたのは幸運であり、仕事もなく時間を持て余す人も多い老年期だからより価値がある。

あなたにとって究極の幸福感はどんなものですか?

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