生涯現役を目指す

我想う支援日誌
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生涯現役への必須項目

仕事柄、施設へのお迎えも多く施設内で過ごす老人達の様子を見る機会も多く、椅子に座っているだけの老人達を見る度、やむを得ないのも理解できるが、出来る事なら施設の世話に成らず終幕を迎えたいものだと思う自分がいるのも事実、自分の身の回りの世話は自分でしたいと思うのは、きっと多くの人達も同様だろう。

嫁さんの父親も施設にお世話になるしかなかった理由は『認知症』俗に言うマダラボケ、面倒を看てる嫁さんのほうがおかしくなりそうとの判断から施設のお世話になりました。

施設入所が嫌なら『認知症に成らない事』こと、しかし認知症の原因すら明確になってませんから、自分なりに対策を立て実行してみるしかなく、ぶっちゃけ、認知症だろうが、癌、心筋梗塞、くも膜下出血、脳溢血どんな病気も、発症する時は発症するから定期的な健康診断しかありません。

でも認知症が防げる可能性があるならチャレンジする価値はある! この発想は葬儀支援を始める前と似ており、僕の主張する葬儀支援が実現すれば助かる人はいくらでもいるけど、そんな事は絶対出来ないと言われたが『助かる人達が沢山いるならチャレンジする価値はある』と走り出したからです。

我が認知症対策

物忘れ、特に人名を筆頭に固有名詞が浮かばない、顔は分かるけど名前が出て来ない現象は一定以上の年代の人なら100%に近いでしょうが、考えるだけより会話のほうが認知速度を遅らせるのでは?と思ってる。

その意味では事前相談然り、施行時は個々の家族毎に異なる事情に沿ったアドバイスを伝えたり、相談に乗る日々も劣化防止のトレーニングと考えてます。

我々の年代になると職場から離れ、接触は家族と少数の友人となれば、刺激はなく会話する内容も毎回同じような話題、でも事前相談や死後手続きは法律が絡んだり、家族を守る為に法律の抜け道を探したり、脱税は勧めませんが、節税の道を探したりと劣化した頭脳を目一杯フル回転させます。

ブログを書き続けたり、12万文字以上の本を書き上げるのも脳活パズルのようなもの、頭で考えた言葉を文字にして繋げ他人に意思を伝達できるうちは正常の範囲だろう。

助走から始める必要がある

52才で父親逝去の一報が裁判所から届いたのは偶然、今にして思えばラッキーでしたが、そんな都合に良い偶然はそうそうなく、もし一報が届くのが60才を超えてたら、或いは鎌倉まで逢いに行かなければ、人生の分岐点とは成らず、葬儀支援の道を歩く事もなく、今とは全く違う人生を歩いてたろう。

設立初年度、わずか3施行から始まり、翌年から倍々と増え8年後には270施行になると毎日葬式してる感覚、当時60才でしたが限界、これ以上増えたら過労死する――、しかし今いる会員さんの安心を守るには70才を超えても続けられる推定限界100施行まで減らす必要があると経験則から考えた。

施行数増は新聞記事、NHKが8分30秒の全国放送もあるけど、利用者からの紹介が多い事、組織拡大すると5万円の直葬プランが15万円に跳ね上がると分った事から、今の高額な葬式に異を唱え、洗脳された葬式概念を壊すことを目的とした葬儀支援は自分でするしかないと腹を括りました。

自分で動くとは、365日・24時間体制・無休覚悟、突然できませんから、52才から助走してきた事が70才を迎える今も続けられてる秘訣でしょう。交代要員はいませんから体調管理は希望でなく、必須項目として考えるしかないのも結果的に幸いしてると思う。

結果はどうあれ

どんなに元気な人でも、明日以降の事は神のみぞ知るですが、出来れば自宅、施設、病院で看病されて過ごすことなく、現役中での終幕が生涯現役の終幕、周囲は驚くでしょうが自分では最高の幕引きと思ってますし、支援したきた終幕の中にも同様の故人がいると「故人には最高の幕引きですよ」と伝えます。

施行数・体力・気力・経営、どんな事も限界まで到達すれば、今後はどうすべきかの答えは自然に分かるもの、また当方が菩提寺の葬式は受けませんと断言できるのも、葬儀支援に何が大切で、何が不要で障害となっているかを2千数百件の支援が教えてくれてるからです。

葬儀支援とは全ての家族の生活が守れる葬式の実現、その障害を排除するは当然、故人の供養は家族がすべきもの、もっと言えば元気で過ごす家族の姿を見せ続ける以上の供養はありません。これが当支援センターの考え方であり実践し続ける姿勢、利用者の紹介が多いとは賛同する家族も多いというあかし、それで充分です。

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