葬儀支援活動を17年間続けてハッキリ分かった事のひとつが『俺は完璧な無信仰者』という事、どんな信仰の人と話しても全く揺るがないものがあり、その点は厚い信仰を持つ人と同様なのだろう。
僕の知る限り、どんな信仰でも教えは素晴らしいものが多く、信仰は生きる為の指針であるべきと考える僕からしても「なるほどぉ」と納得させられる事も多いが、同時にどんな宗教でも「???」と感じたり「なんでやねん」と思う点もあり洗脳されるまでに至った事はしない。
信者の人達は否定するでしょうが『宗教とは洗脳である』と思っており、その洗脳が生きる上で糧になったり指針となり生き甲斐を持てるのであれば否定する気はありません。但し結果として過度の金銭的な寄進、道徳に欠ける行為、反社的行為などに至らないのは当然ながら絶対条件です。
個人的には「読経や拝んでれば良くなる」とか「高額な寄進ほど大きな功徳になる」など、霊感商法そのものと思える戯言以外、どんな信仰の教えも否定する気はありません。
無信仰者と実感する時
「人口と信仰者数の割合」
日本は信徒、仏教徒が多いですが世界を見ると、キリスト教(23億人)・イスラム教(19億人)・ヒンドゥー教(11億人)・仏教(5億人)の順、世界人口80億人のうち11億人は無信仰者と言われますから、実質世界で3番目に多いのが無信仰者であり、その1人が僕なのでしょう。
「どんな宗教も否定しない」
もし僕の中に何らかの信仰の教えがあるとしたら、他は全て否定するでしょうから、内面に特定宗教の教えは存在してないと思われる。信仰心のある方は他の信仰の教えを納得しないでしょ!?
「だから葬儀支援ができる」
無信仰者の僕にとって死後の宗教儀式は意味も価値もなく、周囲が何を言おうと聞き入れる気は全くないのと同様、信仰心のある方が行う信仰葬式を否定する気もありません。
但し、宗教儀式でやたら拘りがあったり、高額な寄付を請求する宗教儀式は当方理念に反しますので、事前相談の時点で入会は受けません。当方理念に反する信仰なら葬儀屋に依頼すれば叶えてくれるはず、費用面が当方の数倍なのは商売としての葬儀屋ですから当然と言えます。
無信仰者で無ければ思いつかない
無信仰者の僕が考える弱者支援とは「宗教儀式は無用」「香典も無用」「食事などもってのほか」「金が掛かり続ける墓も無用」と本音を言えば現行葬式の大半は不要、ただ過去の慣習で洗脳された既成概念を持つ老人もおられますので、家族の負担を軽減できる許容範囲で実施しています。
「供物の揃った祭壇無料」「違和感のない山型蓋付布棺」「盆法要」「追善法要」「超低料金永代供養墓」「散骨場」などで「低料金での墓閉じと遺骨処理」も過去の慣習に洗脳された方々用です。
17年前、自然に思いついた数々のプランや企画の大半が国内初だったのは、葬式喪主経験はなく、葬儀屋勤務経験も無く自分の本音だけで『葬式とは何ぞや』と考えられたからでしょう。
葬式に線香は付きもの!? と言う葬儀屋が多いようですけど、それは仏教徒の発想であってキリスト教徒なら間違っても言わず、葬式=仏教の発想が無ければ出ない発言です。個人的には火葬と散骨で充分、親戚も含めた家族以外の会葬は要らないと思ってます。
自分の葬式費用に金を掛けるより、後に残す配偶者や家族の生活費に回すべき、極端な言い方をすれば葬式に金を掛けても僕の供養には成らず、残した家族が笑顔で暮らす以上の供養はありません。
先述したように信仰とは生きる為の指針でなければ意味はなく、人生の幕を下せば信仰のある人も無信仰者も同じ、あの世があったとしても生きる者が介入できる世界に非ず、来世があるにしても、土に還るにしても、終幕を迎えれば分かることだから流れに任せれば良いだけの事です。
葬儀屋は何故か宗教儀式と葬式を結び付けますが、世界で3番目に多い無信仰者を対象とした葬式もあって当然、無信仰者が設立した「あんしんサポート葬儀支援センター」の役割であり理です。
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