昨日は友引でしたから我が武井家の墓閉じ最終確認を従兄としてきました。寺墓のため10月29日に閉眼読経、11月6日~8日で墓閉じ、焼骨完全乾燥・粉骨・散骨まで11月中旬には完了します。
昨日は昼食から始まり5時間もゲラゲラ笑いながらの談笑、従兄は僕より7才年上ですから「これで心残りがひとつ片付く」と言ってましたが僕も同感です。
今回一連を除くと従兄と逢ったのは彼の母親の葬式をした時依頼だから12年前、当時の彼は葬式=一般葬の概念を持っており希望通りの葬式をしましたが、後年、彼の母親の姉妹の葬式に呼ばれると家族葬だったそうです(8年前から一般葬・菩提寺の葬式は受けてません)
「家族と近い親戚だけの葬式だったけど、このほうが良いなぁって思ったよ」と言ってましたので、コロナの影響もあるのでしょうが葬式の概念にかなり変化があったようなので「うん、本音を言えば面倒な親戚も呼ばず家族だけで送るのがベストだね」と伝えると納得してました。
一般の人達の意識も変化してます
77才でネットはせず、テレビ・新聞のオールドメディアだけで情報収集する典型的な老人ですからメディアに洗脳されてる部類だと思ってましたが、それなりに気付き始めてる事を知りました。
最初に口にしたのは寺の布施と葬式代、、
従兄「葬式した人なら誰でも布施が高過ぎると思ってるけど、寺に墓があるから言えねぇしさぁ」
従兄「お袋は利之が葬式してくれたから安かったけど皆の話しを聞いてると3倍、4倍だもんな」
『やっぱそうなんだぁ、高過ぎると思っても自分で出来ないから仕方なくなんだなぁ』と思っていると
従兄「坊さんが豪華な袈裟着るじゃねぇ、あれって何か意味あるの? 祭壇に飾る供物と生花も何十万円だろ?ひとつひとつ何か意味があるのかな?」
毎年寺に行って檀家料を納め、寺から来る法要に合わせて法事をして、言われた寄付を払う従兄は、僕からすると真面目で典型的な日本の老人という印象でしたが、現行の葬式費用には疑問を感じるようになったと分かったので、あんしんサポートの持論と理念を話しました。
葬式はショーじゃない
葬式はショーじゃ無いんだから坊さんの派手な袈裟は要らない、17年間葬式の施行を担当してきた僕でさえ、回転灯篭、祭壇に供える供物類や生花の何処が供養なのか分からないから、祭壇には賑やかしで30万円分の供物を飾り家族は何も買う必要はないようにしてある。
それと経験則から言わせて貰うと一般葬は温かい葬式にはならず、家族が神経を使う親戚がいる葬式も駄目、一番良いのは家族数名だけの葬式なら、必要な場面で僕が話しを繫げたり進行すれば、最後の最後まで和気あいあいとした温かい空気の中での葬式にする自信があるよ。
武井「俺はさ、家族が普段の自分のままで誰かに気を遣うことなく泣いたり、笑ったりできる葬式で後になって良き思い出として心に残ってくれたら最高の葬式だと思ってるんだよ」
従兄「そうだろうなぁ、お袋の葬式の時もそうだったけど想像できるよ。お袋の葬式で俺には後悔なんてひとつもないから、利之がいてくれて本当に良かったよ」と涙を貯めた笑顔で言ってくれました。
葬式の本質を考える人達が増えてる証拠、金を掛ける=供養の心のような間違った洗脳と呪縛から解き放たれて欲しいものです。
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