偶然やツキの有る無しは自分次第かも

我想う支援日誌
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葬式代なら100数十万の負担で済むけど・・・

前回ブログを書いて「ふっ」と思ったのが今回の話題、事前相談に来て価値観が違うと思った人は全く問題ありませんが、1回目で知りたい事の全ては把握できませんから、再度事前相談予約をしようと思って入会手続きをせず帰る人には「もう相談は受けず入会も受けません」と伝えます。

その為に2時間も掛けて葬儀支援の説明をしたわけで入会する価値が無いと判断するのは勝手、でも各種相談やアドバイスはあくまで会員特典で非会員が再度来館する意味は当方に無いからです。

葬式内容の価値観は当社でも各葬儀社でも様々なので良し悪しの判断は出来ませんが、費用面で言うと同質内容の家族葬なら最低100万円以上の支払い発生が確定します。

あんしんサポートの墓閉じが多いのは葬儀社で150万円~の葬式が15万円ですから135万円が浮き、石屋さんからマージンは取らず、価格交渉はして貰えるので相場より確実に安いのと、散骨・手元供養・永代供養墓の三択もでき墓閉じしても葬式と合せた総支払額が100万円は浮く試算になる為です。

非会員依頼は受けませんと明言し2時間も話して尚、入会手続きをしないのは3,000円払って入会する価値は無いと判断したからで再度時間調整をして非会員に付き合う気はなく、当人はそこまで考えず何気ない判断なのでしょうがひとつの可能性を失ったのは自分の判断からです。

何気ない判断が人生の岐路だったりする

ところが誰もがさして気にも留めない何気無い判断が人生を大きく左右する事もあります。

僕の場合で言うと『父親の最後を看取ってくれた女性に神奈川県鎌倉市まで逢いに行った』ことがその後の人生の分岐点になってます。

母親と離婚はしておらず家族からすると不倫相手の女性が最後を看取ってくれた訳ですが、37年間音信不通の父親が逝去した知らせが届き遺言はどうって事の無い内容『貴方なら逢いに行きますか? いきませんか?』

遺言開封の日は仕事で行けず立ち会ったのは妹でしたが、戻った妹の口から出たのは「家族は放ったらかしだったけど自分達は結構いい生活してたみたいだよ」でしたから、拒否反応は見て取れましたが相手の女性を気遣う言葉は一切なく、それも当然とも思えます。

偶然・ツキと思うは無意識の判断だから――!?

その時の流れは割愛(1章・偶然からの強烈な流れ)しますが、著書を読んでくれた人達の中では「逢いに行く事はない」と言う人しかいませんでしたけど、結果論で言うと52才~の人生の引鉄ひきがねだった訳ですから大半の人達は遭遇しない人生になるわけです。

妹が今の人生をどう受け止めているか分りませんが、少なくとも僕にとっては「天職」との出逢いであり「お気楽」でありながらも「生き甲斐」と「堂々と胸を張って生きられる」人生への引鉄となったのは間違いありません。

人生に「もし(if)」は有りませんが、父親を看取ってくれた女性に神奈川まで逢いに行かなかったら、葬儀支援の人生は100%無かった事だけは絶対と言い切れます。

逢いに行った理由は74才で逝った父親との間に子供は無いと聞き、70代のお婆さんが独り残されたけどこれからの人生は普通に生きていけるだろうか――、父親の最後を看取ってくれたのは確かだし、倒産で蒸発してから知り合った女性が悪い訳では無いのです。

事実逢って話した時「天涯孤独の身」だと聞かされてますと家族の存在は一切説明して無かったようですから女性から見れば最悪な男と思われても当然、されど逝去後も愛情と信頼感はあるようでした。

長年一緒だったとすれば父親も自分の死後を心配してたろうから、とにかくお礼方々1度逢ってみよう。この何気ない判断が人生の大きな分岐点だったのです。

多分、皆さんも同様の事を何度も経験しておられるはずですが、さほど意識もせず無意識にも近い判断だから覚えて無い事のほうが多いかもしれませんが、その判断の結果が良かった時は「偶然」或いは「ツキ」と呼び、逆なら「不運」と呼ぶのかもしれません。

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