当り前の事を言ってるだけ
初めに言っておくと、あんしんサポート葬儀支援センター代表の武井は、ずる賢いとか、悪人では無いと自負はしてますけど、皆さんに言われるほど善人でも良い人でもありません。
強烈な偶然の流れで辿り着いた葬儀支援を続けて分かったのは、残る家族の生活を壊すほど無理をさせる葬式でさえ当然であり、それが善行の如く言われる実態がまかり通るのが、偽善と無責任な葬式であり、親戚ですら金は出さず口だけ出す無神経さには驚きより呆れるばかりです。
あなたの家で葬式が発生した際に入院、手術、療養、施設等で予想以上に費用が掛かり余裕がなかったら、借金したり、ローンを組んでまで金の掛かる葬式をしたいですか? 常識的にはいませんが、もし「はい」と答える人がいたら普通ではありません。
親戚や友人から「葬式代くらい残しておくべきだろう」と心無い言葉が出たら納得しますか!? 家族の事など微塵も考えてくれない人と付き合い続けるでしょうか?
僕なら速攻で黙らせますし無責任な発言をさせません。そんな現実がいくらでもあるのが現行の葬式であり『今の葬式に対する根底が間違ってる』としか思えませんから、宗教儀式無用、高額な葬式無用と考える人、諸事情で余裕の無い人達へのアドバイスと具体的支援をしてるだけです。
故人の兄弟姉妹、寺、葬儀屋に攻められ無理をさせられた葬式の支払いが出来ず、ローンを組まされ、ローン支払いの為にパートに出た60代女性もいますが、これの何処が善行なの? そんな事をして故人が喜ぶか? 僕なら「ふざけるな!」と怒鳴るだろうし、故人からすれば祟ってやりたいと思われも不思議ではない。
僕が喪主なら、、
僕自身は無信仰者なので誰が考えても『宗教儀式は無用』でしょ!? ましてや30万円、50万円の布施を使うのは寺の人達であって故人に使う訳ではありませんから無信仰者の僕からすると無駄金です。
本日搬送した家族の父親の葬式は言われるがままで300万円掛かったそうで、親戚や周囲は葬儀屋の味方のようだったそうですが、ようは払うのは家族だから関係ないという他人事なんですよ。その結果、残されたお婆さんの生活は大変になり、200万円で造らされた墓も娘しかおりませんので墓閉じ対象です。
我が家の葬式や自分の葬式だったら――、と考えると今の葬式の大半は否定しかなく、葬儀屋勤務経験ゼロだから『家族の目線しか分かりません』ので、ストレスが溜まらず、法的に問題ない葬式、遺骨処理、死後手続きを創ったに過ぎず、皆さんの言う慈悲の心ではありません。
ただ祖父母に言われ続けた「自分より弱い人に優しくあれ」が潜在意識にあるかもですが、いかんせん葬儀支援のスタートが53才だから若者思考より老人思考のほうが理解できるし、年金受給者で実態も分かるし、加齢と医療費の比も実感など老人世帯の事は普通に理解できる年代なのです。
何事も自分ならで考えればベストに近くなる
70代を迎える今になってみると、煩わしさの無い日々『今日を楽しく生きて明日に繋げる人生』にしようとする自分がいて「普通」とか「平凡な生活」は幸せの代名詞にも思える。
今日を楽しく生きるには身体と心の健康を維持は大切だから無理の無い労働が理想ですが、葬儀支援を続ける限り無理な望み、、せめて心の健康だけはと極力ストレスの溜まらない生き方をしようと決めたのが62才、施行数を減らす為に対象者を限定、支援したくない人は受けないと決めた。
なぜ葬儀支援を思いついたのか!? と先日の入会相談でも聞かれましたが『納得する葬儀屋が無いから』無ければ自分で創れば良いという単純な発想と葬儀屋と寺に腹が立ったからです。
設立した2008年『死後費用の心配をすることなく生きられる世の中』を2030年までに創り上げておく必要があると考えた訳ですが、具体的には『直葬が当り前の世の中にしておく』事でした。
未来が全く見え無ければ意識しませんが、幸か不幸か2030年代の老人生活は想定できましたから、そのまま放置するのはストレスを溜めるので、達成するしないはともかく、明確な目的を設定した上で数多の目標をクリアし続けるほうがストレスになりません。
他者に優しくしようと思ってる訳でなく、自分が納得できなければストレスになるから、ストレスを感じない方法論や対処方法を創り出しては実現させてるだけなんだけど、目線が家族だから似たような思考や価値観の人達からすれば優しいと感じるのでしょう。
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