執着への最大壁は「見栄」
本当の意味で執着心から解き放たれたのは葬儀支援事業に携わってから、数年前は元気だった人達が静かに棺の中に黙って納まる姿をどれだけ見てきたでしょうか、数年前「代表、俺の時も頼むね」と笑顔で言われ「何を言ってるんだよ。まだまだ先の話しだろ」と互いに笑った人達が人生の幕を引く。
52才で葬儀支援を始めた頃は70代で現場で動いてるなど想像すらしてませんでしたが、62才の時に「もしかしたら」と考え70才に向けた方針を立てたのが今では現実になっています。葬儀支援を通して教えられたのは100%の確立で『人生に終わりがある』ことです。
当り前の事だけど実感出来てる人は「80代以降の人」と「余命宣告された人」くらいじゃないかなぁ、日々終幕を迎えた人を相手にしてる僕でさえ実感できないのが「死」のようです。
日本男性の平均寿命81才、健康寿命72才と言われてますから、平均で言えば2年後には普通に動ける身体で無くなり、病気等で自由に動けない状態で9年ほど生きて終幕を迎える事になります。勿論もっと長く生きる事もあれば、1年後、2年後、或いは今年終幕もあり得るのです。
だとしたら頑張ったり、我慢や節約するより『今日を楽しく生きたほが良い』と思いませんか!? 食べたい物も食べず、寒くても着込んで我慢して金を残した所で終幕を迎えたら終わりです。
個人的には死後の葬式で騒ぐ意味が分かりませんから『直葬と散骨』費用を残せばよく、毎日を楽しく生きる事が最優先、だから糖尿病だけど余り我慢はしません。我慢するストレスのほうが精神的に良くないと思うからで、定期検査と投薬を受けながら食べたい物は食べてます。
長く生きてりゃ病気もするし、歯も欠けたりしますけど完全に治す必要はなく、生活できる程度の補修をすれば良く、病気は騙し騙し連れ添えば良いと思ってる。そうそう糖尿病の症状として足裏はいつも靴下がたごまってる?ような感覚、すでに15年以上ですが神経質にはなりません。
「見栄」が無くなったとは言いませんけど殆ど無くなったのは『自信』じゃないかと思う。
この自信が見栄を張る必要が無くなった最大の要因だと思います。金もなく、社会的地位もなく、名誉職でもないけど「あんしんサポートがあるから安心して過ごせる」と言ってくれる人達は少なくとも5,000人以上いる。70才の爺さんでも他人の役に立ちながら生きられるんです。
誰かの役に立てる人生が最高
配偶者、家族、他人、誰かの役に立ちながらの日々は他では得られない充実感です。それがたった一人だとしても、その一人にとっては掛けがえのない無い人、自分以外の人からそう思われるって凄くないですか? これが俺が生を受けた目的であり使命なんだと自己満足できれば大半の執着(見栄)は些細な事です。
あるがままを受け入れ、今生きてる事実に感謝できた事から「金」「物」「人」に対する執着が自分を破滅に導く愚かな発想と気付けたのも、あんしんサポートと会員さん達のお蔭、他人の役に立つとは自分も助けられてると気付くことなのかもしれません。
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