挑戦とせっかちは若さの秘訣‥かも

我想う支援日誌
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自分の死後費用を心配しながら生きる老人に『なぜ!?』と驚いたが、葬式の実態は葬儀屋、寺ともに「供養」「親不孝」「当然」のような言葉で心の急所を突き、高額な費用や布施で自分の利益だけを追求する摩訶不思議な現実だと分った。

大体に於いて葬式代、読経戒名代は誰が使うのか!? 葬儀屋と寺の家族――、特別な才能も無ければ法力も無い極々普通の人達が使う「金」なのに、そうしなければ成らないかの如くの話術に騙されてるに過ぎない。なぜ騙されてると言い切るのか!?『日本人の大半は無信仰者』だからです。

そんな現実と実態を知り2030年代、団塊世代の終幕期前に『誰もが死後費用の心配をせず生きられる世の中にせねばならん』と国内初の葬儀支援の道を切り拓く決心をしたのが52才の時、あれから15年の時が流れ67才の老体となった自分ですが、多分同年代の人達と比べたら若いだろうと自分でも感じるようになってます。

白髪染めで黒髪にしてると40代と言われる事もあり白髪染めは止め自然のまま、但し爺いですから清潔感と加齢臭だけは気を遣ってますけど利用者に年齢を言うと皆さん驚きますから、同年代の人より若く見えるのは間違いなさそうです。

外見は内面に比例するのだと思うけど、24時間365日無休で電話が1本入れば、夜中でも、早朝でも、或いは体調が悪くても関係なく動くしかありませんから、老人の自覚は不要であり邪魔なのが基本で、歩くのも早いし、搬送で100km以上の距離を走る事もザラだし、時間が空けばできる事は後に回さず「今日成すべき事を明日に延ばすな」の精神も貫いてます。

同級生や同年代の人達を見てると猫背気味でゆっくり歩く人も多く『自分で自分を老けさせている』気がしてなりません。速足でキビキビ動けば若く見え若く居られるものです。

弱者を喰いものにする実態に怒りを覚え、明日は我が身と生まれた葬儀支援の道、先人はいませんから全て利用者の話しを聞き、考え、学び、提案し、実現し続け立ち止まってる時間はありませんでしたけど、それが結果として良かったのだろうと思う。

読んで分るように見ようによっては『せっかち』と感じるでしょうが、老人はせっかちくらいで丁度良いスピードになる気がします。人の失敗には長年人間して得た余裕でゆったり感を出し、動きや行動は迅速でせっかちくらいの感覚で動いてれば、着飾る事も、無理する事も、背伸びや、ぶらなくても周囲は「若い!」と絶賛してくれます。

あと『学び』と『考える』事もすんげー大事な要素だから次回書きます。

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