あんしんサポート葬儀支援センター 著書:無信仰者の葬式参考書

俺は葬儀屋にはなれない――、と書く理由

我想う支援日誌
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ブログヘッダ画像の横に『葬儀支援ブログ「我想う」』のタイトルがあり、その上に『俺は葬儀屋にはなれない――、』と書いてあるので、時々「どういう意味ですか?」と聞かれます。

一般の人達からすれば、葬式施行をするのだから葬儀屋なのでは?と思われても当然なのですが、葬式の商売をしたい、しようと思って始めた人は商売という観点で葬式を捉えてるのに対し、葬儀屋だけは絶対嫌だと公言してたにも拘わらず、嫌々葬儀業界に入った人間との違いなのかもしれません――、

商売としての葬儀屋

葬式という儀式を商売の種とし、逝去後の遺体搬送~安置~葬式~火葬~納骨~追善供養に至るまでの全行程で得られる利益を追い求め、より高額でより多くの利益を得んが為に何をどうするか、常に考え続け、企画し続けてきたのが葬儀社という「葬式代行業」です。

慈善事業をしてる訳でもなく、社会奉仕をしてる訳でもなく、何処にでもある商売のひとつですから違法でない限り高額でも低額でも葬儀社の自由、利用するかしないかは消費者の自由です。

時々葬儀社は奉仕事業のような言い方で批判される方もおられますが間違いなくお門違いの発言です。もっとも葬儀社もそんな印象を受ける広告宣伝をしてるのも事実ですから、広告宣伝限定のお題目を本気にした方から非難されても仕方ないでしょう。

15年前2007年9月、八王子裁判所から父親逝去と遺言書の開封への立ち会い要請が届いた事から、忌み嫌って来た葬儀業界に素人のままで突然、それも嫌々入る事になったのですから、そもそも商売として捉えられるはずもなく、そのまま16年目を走ってるに過ぎません。

新聞には何度と無く記事にして貰ったり、NHKからの連絡で8分以上の全国放送をして貰えたり、千葉県2市の市会議員さん達が都内で僕の講演会を組んで全国から数百人が聴衆してくれたり、関西のNPOから葬儀支援事業を全国に広げたいと申し入れされたりと大きな組織にする機会はいくらでもあったような気がします。

でも組織が大きくなると本当に葬儀支援を必要とする家族の財布事情とは噛み合わず、料金設定は確実に10万円近く上がる事になると分りました。

周囲の人達は「多少値上がりしても全国に広げるべきでは?」と言われ一時は迷いましたが周囲の人達にとっては「多少」でも余裕の無い家族にとっての10万円は2か月分の生活費だったりと思ってる以上の負担である現実も見てきたし最終的には自分達の商売として収入を得る事が目的だと感じました。

当時は美容業界で会社経営しており、わざわざ忌み嫌う葬儀屋をする必要も無いのです。ただ世の中には金銭面で余裕の無い人は思ってた以上にいて家族が死ねば最低限火葬だけはするしかありません。

上の太文字が理解できるでしょうか?
一般的には「故人を弔う」とか「供養する」とか「温かく送る」とかの発想になると思いますが、それは一定の余裕があるからで本当に余裕が無いと、この感覚にさえなるのだと経験則で教えられました。

時々死体処理せず逮捕される人もいますが、その日暮らしの生活なら葬式費用などありません。なら行政に行けば最終的には何とかなると言われるでしょうが、そんな人達にとっての行政窓口はとんでもなく敷居が高く、担当者も上から目線で他人事ひとごと感覚の発言も多いのが現実です。

それと2,000軒余りの家族と建前抜きの本音相談をしてきましたが、ブログにも時々書く『家族目線』とは正確に言うと大抵は『故人目線』なのです。故人目線については次回書きますが、葬式の相談は数分で、どうすれば家族の生活が守れる葬式が実現できるかしか考えてない自分がいます。

このように葬儀社とは全く違う立ち位置での打合せは家族より低料金になるケースが殆ど、これが設立から16年間続けば「俺は絶対に葬儀屋に成れねぇな」と思うままの本音を文字にしたのです。

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