高い自慢・安い自慢

我想う支援日誌
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関東人は「高い」自慢、大阪人は「安い」自慢をする傾向が強く、僕は関東で生まれ比較的裕福な環境で育ったから、高い自慢=見栄は間違ってないでしょう。

これに対し真反対なのが大阪人に多い安い自慢、高くて品質が良いのは当たり前、良い物を安く自慢は、眼力というか、交渉術というか、自分の能力自慢のような気がします。

ところが最近自分の発言を振り返ると「今乗ってるプリウスはヤフオクで31万円」とか「履いてるパンツは2,000円しない」と言ってることに少し驚いてます。

いつ頃から変化したんだろう

35年前を振り返ると600万円のセルシオに乗り、3万円のポロシャツ、2万円のベルト、3万円の靴、20万円の腕時計、1.5万円のネクタイが当たり前の典型的な関東人気質だったはず、改めて自慢はしませんでしたが自己満足はしてたはずです。

名士と呼ばれる人達と付き合い、旨くもない料亭で1人前15,000円の懐石料理を食べ、様々なパーティーにも出席させて貰いましたが、楽しいと思った事はなく自身には合ってない自覚はありました。

偶然から嫌々始まった葬儀支援は赤字設定だから、車、衣類装飾品など全てを変化させるしかなく初めて中古車に乗り、ポロシャツ980円、靴5,000円、ベルト1,000円、腕時計とネクタイ無しの生活となりましたが予想以上に物と金に頓着とんちゃくの無い自分がいました。

とはいえ当初は何処か気恥ずかしさもあったけど、余裕の無い家族に無理をさせず、葬式より自分達の生活を守る事のほうが大事だと、理解して貰うにはどうすれば良いかと考えるようになったのが、安い自慢?のような発言をするきっかけだったと思います。

本当の供養とは何ぞや

葬儀業界と寺や住職の実態が分かってくると、現行の高額な葬式への疑問と『本当の供養』について書物でなく生前故人の発言と家族の実態から究明するようになり、多少の違いはあっても大半の家庭で供養に金は関係ないと分かりました。

「見栄は要らない」「無理はするな」「あなた達家族が笑顔で生きる姿こそが最高の供養だ」と言い続け自身の潜在意識にも刷り込んできたけど、葬式後の家族から「本当に助かりました」と社交辞令でない笑顔と言葉を聞かされる度に確信は強くなった。

我が価値観

美容業時代のほうが世間も広く社会的地位は評価されたかも、でも僕自身は楽しくなくエンジョイしてた期間ではありません。ただ、その結果今の自分がいるから糧にはなってます。

ずっと以前から理解してるつもりだった『人は執着を捨てれば楽に生きられる』を実感できる機会となった葬儀支援の日々は今以って、より高い目標へと突き進む活力源になってます。

それが「31万円のプリウスに乗り」「28万円の寝台車でお迎え」「低価格の衣類」で全く問題はないと堂々と口にする事であり、高額自慢は単なる見栄と虚勢でしかなく、そんな所に人間の価値は無いと伝える自意識の改革であり、会員さん達にも納得して貰う手段だったようです。

資本主義の副産物として「金持ち」=「偉い」で「貧乏」=「クズ」のような思考があるけど、人生で大事なのは他人にどう思われるかではなく各々が自分の人生を楽しむこと。注意するのは自分以外の他人に極力迷惑を掛けないことくらいです。

「金がない」「儲からない」「安い車」「安い衣類」となってる今、だけど今の自分は充実して胸を張って生きてると心から思える人生になれたから、皆さんも物や金の価値観で言えば、ちょっと気が引ける事は隠すよりあえて公言しちゃうのもあり? って事はないかなぁ、

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