供養と最高の供養を知っておこう

法要・遺骨・墓関連
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葬儀屋が良く使う言葉に仏教用語「供養」がある。

ネット検索すると供物を供える事と書かれたものもありますが、これは弔いのひとつの形でしかなく供える側の自己満足としか思えない。

否定をする気はないが供物を供える前段には「故人を思い出す」という現象があり故人が供物を食べられるわけではない。

そう考えると「故人を思い出す」「故人を忘れない」ことが供養の大前提と言えるだろう。家族以外でも供養したい人の事を時々思い出す事が供養だ。

更に故人が祖父母両親だったら何を心配するだろう。

自分の葬式内容を心配するだろうか、自分の法要を心配するだろうか『後に残る家族の生活や健康を心配する』人のほうが多いだろうと思う。

なら最高の供養は簡単だ『後に残る家族が毎日を元気な笑顔で過ごす姿を見せ続ける』これ以上の供養は存在しないだろう。

仏教の読経、神道の祝詞で疑問を感じるのは聞いてる家族が意味不明な事だ。宗教的な意味は当然あるだろうが肝心の家族は全く分らない。

その意味ではキリスト教のミサは聖書を読んだり考え方を話すから聞いてる人達は理解し易くどう生きるかの指針ともなるだろう。

とはいえ日本人の大半である無信仰者にとってはどうでも良い問題だろうな。

かみほとけと言われてもハッキリイメージできないけど故人を生きてた当時の人間と考えれば祖父母や両親が笑顔になる方法は分るだろう。

時には『フッ』と思い出す事もあるだろうから「心配してくれてるんだありがとう。でも元気だから心配ないよ」と伝えてあげれば良いだろう。

あの世にお金は存在しない。だから供養にお金は掛からない。但し「心」が無いとできないのが供養なのだろうと思う。

あなたが毎日笑顔で堂々と生きてる姿を見せ続ける事が最高の供養と書いたが、見せるだけなく見せ続けるのは正直簡単ではないだろう。

でもそれが実現できれば最高の供養もできるし充実した人生にもなる。供養が人生の指針となるのだから立派な信仰と言っても良いだろう。

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