17年が経ちました

我想う支援日誌
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17th Anniversary(№1)

2008年6月27日、NPOあんしんサポート葬儀支援センターが誕生、2025年6月26日の今日で17年経過、明日から18年目に突入、設立当初から2030年代の団塊世代終幕期への対応策を訴えてた割には、70才になっても葬儀支援を続けているとは思っておらず我ながら計算できないの?って感じです。

それにしても何で27日!? この中途半端な日の理由は法務局に7月1日に設立登記してくださいと26日に行ったのですが、担当者が忘れて持参した日の登記になったからで「なんでやねん!」と文句を言うと設立日の変更はできないと言われたが後日法務局支局長が謝罪の電話が入った。

当時のNPOは内閣府の管理下にありましたが、県庁で開設届に関する書類提出の際「えっ!法務局が謝罪したのですか!?」と驚かれたことから市 < 県 < 国という権力の図式を知り、役所関係の書類は慎重に進めないと取り返しのつかない結果もあるので皆さんも注意してください。

勢いだけで始めた支援活動

家族の悲しみを利用して暴利を貪る葬儀業界の体質に腹を立て、僕の話を聞いて互助会会員の勧誘営業が出来なくなった千明への責任感への勢いだけで葬儀支援への一歩を踏みだしました。

ついでに言うと葬儀支援が軌道に乗ったら僕自身は撤退するつもりで、当時は美容業の社長ですから葬儀支援から利益を得るつもりが無かった事が赤字プランを生み出す事になり、長期間続けるつもりが無いから本音の家族目線プランを創り続けられたのでしょう。

儲けも考えず、赤字にも屈せず、講演会、新聞記事、テレビでも発言し続けた結果、引き下がれなくなったというか更なる家族の本音を追求し続けることになると、家主企業を始めとした周囲の人達も同調してくれ引き下がるどころか更なる前進以外の道は完全に消失していました。

4年間食えなかった

当たり前の事だけど赤字プランで食えるはずもなく、設立から4年後の施行数は年間50件でしたが、あんしん館開設までまともな給与も出ず手弁当でしたから、僕より千明のほうが大変だったはず、それでも泣き言は一度も聞いた事はありませんから芯が強いのでしょう。

年間50施行とは月に4~5件は施行があるのと入会数も増え始めた事で二足の草鞋わらじを履き続けるか、一本化するかの選択期というか人生の分岐点だったようです。

婚礼美粧を主体とした美容業を経営して22年が経過した2011年、僕の能力では美容業で生きる限界を感じてた事、20年間頑張って来てくれたスタッフへの恩返しが出来る最後の機会にらなるかもしれないと感じてた時期でしたから、美容業は全て退職金代わりとして無償でスタッフへの譲渡を決心しました。

前年12月の段階で家主企業にレンタル終了を申し入れ、美容室はそのまま渡すつもりでしたがスタッフから家賃が高過ぎるとの理由と家主企業から借り続けて欲しいと何度となく提案し続けられた事から、あんしん館の開設に踏み切りました。その担当者が今は社長です。

最低でも1,000万円以上は掛かる改築費用は全て家主負担、但し5年間だけ家賃は+5万円(5年で300万円)、その後は退室しても負担一切無用という条件を提示してまで残留を勧めてくれました。あ、契約時には無かった式場ステージとシャワールームの設置を追加したので、総額21万円税込だけは支払いました。

あんしんサポート設立、あんしん館設立いずれも自分の意思でなく、美容業の株式会社の閉鎖とスタッフへの譲渡だけが我が意思でしたが、そのお陰で食えるようになるのですから何が幸いするか分かりません。

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