法律で24時間火葬できない、火葬には火葬許可証が必要などありますが「葬式とはなんぞや」と真剣に考えた事のある人がどれだけおられるでしょうか?
葬式には決まり事があって、その通りにするのが当然で高額な費用が掛かるもの――、と思っていませんか? 大手葬儀社に8年勤務してた当支援センターの千明も2008年までは葬式費用として100万円以上は貯めておかねばと思っていたそうです(今は全く違います)
ぶっちゃけ葬儀屋でさえ考えた事は無い人のほうが多いんじゃないだろうか、考えるとしたら「どうすれば儲かるか」や「どうすれば施行数が増えるか」など商魂逞しく押し付けはするけど、利用者の立ち位置からの「葬式とは何ぞや」の思考回路を持つ葬儀屋を僕は知らない。
偶然からの流れで真剣に利用者目線と低料金を追求し続けた事で施行者・利用者双方の目線を経験した事自体が珍しいけど、17年経過した今も利用者側の目線のままだから、パンフレットに記載してる「俺は葬儀屋には成れない――、」のまま、そもそもが本音だから変わりようがありません。
見栄が最優先の人以外が対象
僕には理解できませんが「参ったぁ、親父の葬式で500万円掛かったよ」と自慢する人も実際にいますので、好きにすれば良いとしか思いませんけど『やりたくない人』『できない人』に自分の意見を押し付けるのは間違いですから、全ての費用を出さない限りは絶対に口を出すべきではありません。
葬式関連についての僕の話しは第1に僕の個人的な想い、第2は当支援センターの対象者である生活弱者からの料金設定と施行内容、そして誰も教えてくれない各種死後手続きですから、拘りの強い人、富裕層、見栄っぱり、特定信仰心の強い人などは対象外です。
僕の葬式に対する意見です
各宗教毎に死後の世界観は宗教別に様々、だとしたら各宗教&無信仰者用の死後の世界があるって事になるので無信仰者としては理解できませんし、僕の個人的な意見ですが死後を解く宗教者自身も書物や誰かの言葉の受け売り、死んだ経験のある人はいませんから死後は未知で良いと思ってます。
信仰のある人を否定する気はありませんが、無信仰を否定される理由もありませんので、皆さんも自身や家族の思いで良き思い出となる葬式になるよう準備しましょう。
日本は死後に騒ぎますが、葬式は存命中に親しい間柄の人との別れを受け入れる時間だと思っていますから、互いに意思の疎通ができる段階で無ければ意味はなく、大切な相手なら受け入れまでに数年掛かっても不思議ではないと思ってますので、期間という意味では個々に違うと考えます。
固定概念を外して1度じっくり考えてほしい
① 騒ぐなら存命中だと思うけど死後に騒ぐ必要があるでしょうか?
② 金を使うのも葬式でなく生きてる時だと思うけど、、
③ 宗教心のある人は好きにすれば良いけど無信仰に宗教儀式は意味がない
④ 仏教で言う供養って金を掛けることですか?
⑤ 葬式より残る家族の生活優先が当然でしょ?
⑥ 温かく送り残る家族が笑顔で過ごす以上の供養があるのでしょうか?
⑦ 菩提寺の布施30万円・50万円は適切な金額だと思いますか?
⑧ 葬式費用は適切だと思いますか?
⑨ キリスト教23億人~仏教5億人まで、それぞれ違うあの世があると思いますか?
⑩ 生活を切り詰めてまで高額な葬式をすべきだと思いますか?
1度家族間で真剣に話し合ってみて欲しい
「死」の話しは終幕間近の人がいれば出来ませんから、家族全員が元気なうちに各々の葬式感と費用面と残る家族の生活も含めてじっくり話し合う事から始めましょう。
自身や家族の意向を叶えてくれる所を探す
次回は葬式関連で家族間の思いが整ったとしても、それを叶えてくれる葬儀屋が無ければ本末転倒、全て自分達で行う事も可能ではあるけど多分、想定より大変でしょうから葬儀屋探しの方法を書きます。
自分で読んでも普段の話し方とかなり違いますから、次回から普段話す言葉のまま書きたいと思う。
コメント