人の死について一か所で相談できる場所がない

我想う支援日誌
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あんしんサポートの事前相談が最初から2時間も掛ったわけではない。

初めは葬式予定者を事前把握する為の手段としての「会員制度」で一般葬儀社と同じ目的からのスタートだったと記憶している。

また初めは葬儀屋が嫌だから葬儀支援を名乗った程度の感覚でしたが文字から受ける印象なのか相談時は質問する人達が多かった。

中には行政関連だと思う人もいて当然のように質問された。

「お金の問題」「葬式の決まり事」「墓と遺骨の事」「生命保険」「葬祭費」「年金」「法要」とにかく人の死にまつわる事の全てだ。

10件、50件、100件、500件、1.000件と毎回違う家族から同じような質問をされ続れけば嫌でも詳しくなるし学ぶことにもなる。

但し立ち位置は家族が迷わぬよう一貫して『残る家族目線』だけを貫いてきたし間違って無かったと思っている理由もある。

堂々と胸を張って生きられる事」「あんしんサポートが無くなったら困ると言う人達がいる」この現実だけで充分だろう。

いつしか「死」に関わる事なら何でも相談に乗ってくれる所と頼みもしないのに利用者が勝手に広めてくれてるらしい。

そう考えるとあんしんサポートを設立したのは我々だが、育てたのは利用した家族と言えるだろう。

時々「色んな相談が一度に出来るのは此処だけ」と言われるが改めて考えるとその通りだろうと思うし当然だろうとも思う。

行政は、地域包括支援センターは、社協は、或いは病院のソーシャルワーカー等々考えるが何処でも無理だと結論がでるからだ。

何故なら単純明快で「葬式はできない」からで、この前提が無ければ相談は出来でも決定はできない。

葬式する死体は一律でなく様々な状況があり死体の数だけケースがあるのだから「死体処理」としての葬式が出来ることは絶対条件になる。

14年前に設定した「葬儀支援」なる言葉と方向性は間違って無かったと思える。

ついでに言うと葬儀社紹介ブローカーでは絶対にできないのが葬儀支援とも言える。

個々の家族と膝を突き合わせ、それぞれが抱える事情の全てを考慮した上で行う葬式(死体処理)と前後の対応が葬儀支援と言える。

その意味で葬儀支援に過去の葬式の概念を入れるべきではない「葬式はこうあるべきもの」という考え方は偏見であり色メガネだ。

葬式は「誰が」「誰を」で全く違うものになるし「費用」「財布事情」を加えると全く別ものになる。

しかし実際は葬式の部分はさほど問題ではなく「逝去までにしておくべき事」「死後にすべき事」が中心なのが葬儀支援の実情です。

「葬式」の考え方によるでしょうが葬儀支援は「宗教」「故人の‥‥」といった部分より「葬式をする人」と「残る家族」が大前提です。

もっとも故人の尊厳についても個々の故人毎に違うのが当然で一律に決めつけるのは傲慢でしかない。

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