「石の上にも三年」「一念岩をも通す」

我想う支援日誌
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結論から言うと、どちらも結果論じゃねぇかなぁって気がする。
意志薄弱で忍耐力も希薄、根が坊ちゃん育ちで軟弱だから不言実行など到底無理、何かするなら『有言実行』で自分を追い込み、嫌いなもの(事)は出来ないし続かない。

コンサルティング前は営業マンでしたが、営業自体が嫌いだから『もう動き出さないと間に合わない』と思うまで喫茶店か、パチンコ屋で過ごし焦って得意先を回ると頑張ってるように見えるという姑息こそくな手段を使い、頭を下げるのが嫌いだから相手が苦手なことを学んで教える立場になれば頭を下げるのは相手になると考えるような奴でした。

美容室を周る営業時代は美容師が苦手な経理や税務の話しを振って相手が関心を持つと「あ、ごめん。もう時間がないから又今度――」すると相手は「え、今度っていつ?」「うーん、注文が無いからいつになるかなぁ・・・」するとスタッフに「ねぇ、何か注文する物は!?」これが功を奏して最初に引き継いだルートは3倍の売上になった。

結果オーライでしたが自分の嫌な事はせず適性した営業スタイルにしただけ――、でも嫌いな営業が好きになることはなく、結果が出ても満足することも無く、どんなに褒められても嬉しくも無く会社は好きだったけど仕事が楽しい日々では無かった。

35才で起業、偶然繁盛したけど楽しい日々で無く経営管理する仕事は向いてないと感じてた52才、父親逝去の一報から始まった葬儀の仕事、自分の知る限り胡散臭いと思ってた葬儀屋はしたくないと、無理矢理で始めた葬儀支援の第一目標は国保からの葬祭費だけで可能な『5万円火葬支援パック』の完成、一緒に動き出した千明ちぎら以外は百人が百人無理だと言うほど困難に思われた事も3年後に完成できた。

問題は3年間を長く感じるか、短く感じるか「苦痛」か「楽しい」かの違いだと思う。苦行のような3年なら続かなかっただろうが、楽しい日々なら3年が5年だとしても続く――、「石の上にも三年」とか「一念岩をも通す」ってのは、それだけの事じゃねえ?って思う自分がいます。

葬儀支援の道が天職かも――、と自分でも思うほど適職だった事と、元々の性格が『自分がした事で他人が喜ぶ姿を見ると嬉しくなる』という資質が上手く合致したらしい。

「石の上にも三年」「一念岩をも通す」などは我慢と頑張り続ける的な印象が強いけど、事の大小は別として実現させた人は、他人からどう見えようと自身は嫌いで無く無理もせず、苦しさや大変さも含めて日々楽しめたから達成できた訳で、重い荷物を背負い、厳寒のテントで寝起きし、酸素の薄い山頂を目指し、命さえ掛ける登山、僕には理解出来ないが楽しいからだろう。

そう考えると他人がどう思うかでなく、自分が好きな事、自分が楽しい事、自分が嫌いじゃない事を目標として続ければ普通の人なら実現できるんじゃねぇ!?って気がする。仕事は辛くて苦しいのが当り前のように思い込んでる人は、少し頭を柔らかくして視点を変えてみるのも一考だろうと思う。

他の人は分らないけど、僕の場合で言うと『忌み嫌ってたすぐ横に天職があった』わけで、食わず嫌いをせず飛び込んでみる価値はあるのかもしれません。

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