墓を持つ時代が終わった

我想う支援日誌
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墓閉じ相談が増え続けるのは必然

16年前の4月NPO法人設立申請、6月設立した当時から少子化で墓守不在の家族が増える事と、当時から若者には信仰心もなく墓への執着が薄いことを知り、墓閉じが増えるのは確実だったが、墓から出した遺骨処理は樹木葬ではなく『散骨』が最も増えるであろう事も明白でした。

その理由は樹木葬は墓の法律が適用されるが、散骨は適用外であること、樹木葬は焼骨をそのまま埋葬するが、散骨は粉骨にする為、少量を手元で供養することも可能な点が大きく、墓は老人になればいつか行けなくなるが粉骨なら手元で供養し、極端に言えば何処にでも撒けて最後は自分の骨と一緒に散骨できます。

更に費用面に於いても樹木葬の半額以下で散骨後は一切の費用が掛からないのもメリット、ちなみに散骨は国が認めてるものではありませんが問題はなく、墓から出した遺骨を樹木葬なら『改葬手続きが必要』ですが『散骨・手元供養』は手続き無用と法律に縛られない自由度も大きなメリットです。

寺墓所・民間墓所が不人気な訳

寺墓所の最大デメリットは毎年の管理費用等が1万円~と高い事と、その寺を利用した葬式しかできませんから、寺が決めた高額な布施(謝礼)が必須となること、また民間墓所はバックマージンの問題もあり、高額な指定業者以外は受け付けませんので、納骨は勿論、法要時等も余分な費用が掛かる傾向が強い。

最近の寺は「信仰不問」など掲げてるようですが、寺の墓所にキリスト教徒を代表として他の信仰を持つ人が納骨するはずもなく、寺墓所なら無信仰者なのに住職から仏式の葬式を強要される訳ですから、節操が無いというか儲かれば何でもありの感が強すぎる気がする。

理解できないのは寺墓所を閉じて寺の永代供養墓に入れる人、折角費用を掛けて閉じたのに檀家のまま? 墓を閉じて永代供養墓納骨料を支払う事に何の意味があるの? 無駄に費用を掛けてる事に気付きませんか!?

少量の粉骨を手元供養が最善

少子化で国民が減り続けてる今、どう考えても墓守不在となるのは必至の時代、さらに独居老人が750万人もいる時代なら昔の墓の概念を変えるべきは必然、その意味では西日本は全焼骨を拾骨せず少量拾骨ですから、比較的受け入れ易いかもしれません。

2,000数百件の支援をしてきた結果、国内で初めて設定したのも当支援センター『少量の粉骨を手元供養』が、あらゆる面から最善と思われ、そのメリットは以下の通りです。

・墓はいつか必ず行けなくなるが自宅なら問題ない
・自宅なら彼岸、盆、正月、いつでも手を合わせられます
・費用は全く掛かりません
・粉骨は親の墓、思い出の場所など何処にでも少量撒ける
・出掛ける時は持って行ける(転居時も同様)
・「土」に還すなら粉骨が最善です
・最後は自分の粉骨と一緒に散骨すれば究極の断捨離
・仏壇でなく故人が過ごした居間に置いてあげられます
・愛する人ならロケットに入れペンダントにもできます

屁理屈と脅しに惑わされない事です

外墓地の中は「真暗」「多湿」「虫が這う」など僕は絶対に入りたくない場所、墓の中が供養に適しているとは到底思えませんので「供養」の言葉を使った屁理屈と、供養する気が無いのかなど「脅し」に屈する事はない。大事なのは、あなたの家族環境と生活、それを忘れてはいけません。

ちなみに当支援センターに赤字プランが多い理由は、主とする対象者が余裕の無い家族への支援だからで、16年間で病気と入院で合わせて10日間以外は無休の24時間体制、薄報酬等々、人員も増やさず赤字プランを存続させる努力をしています。あなたの菩提寺と住職は、あなたより質素な生活をしておられますか? 菩提寺の要求する布施は納得できるものですか? 菩提寺はあなたが守るだけの価値ある住職や寺ですか? 

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