無信仰という名の信仰

我想う支援日誌
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最大宗教キリスト教を始めとした信仰とは何でしょう!? 端的に言えば『生きる指針』人生は晴れの日もあれば、雨の日や嵐の日だってあり、人は感情があり、思考力があるからこそ自分の道が見えなくなりそうな時でも指針となるのが信仰なのだろう。

葬儀支援の道を切り拓く覚悟をした時、国内で多く接する宗教はそれなりに自習してみたが、理念や考え方はどれも素晴らしいと感じる反面、宗教家と呼ばれる人達の表裏に差があり過ぎたり、寄付、寄進など言い方は色々ですが、ようは金を出せば『徳を積む』というのは頂けない。

事実その宗教の上層部にいる人達の生活は末端の信者と同等だろうか!? 答えは『否』大半の上層部の人達は贅沢な暮らしぶりなのだから説得力はない。

ちなみに葬儀支援を始めた当初、僕は小さな会社の代表取締役で最低でも年収1,200万円ほどあり、少額年金で暮らす老人に「大変だよねぇ」と発する言葉は偽善でしかないと自己嫌悪、本気で支援するなら同じ立場で膝を突き合わせるべき――、

1年間掛けて法人を閉鎖、商売は長年勤務してくれたスタッフに全て無償提供、と同時に収入源は絶たれ食えない葬儀支援事業だけが残り、あとは利用者が増え机上の空論が現実となれば食えるが、対象者に不要な存在なら淘汰されるだろうと腹を括った経緯がある。

幸いな事に設立から7年間ほど施行数は倍々と増え年間200施行に到達した頃は、机上の空論でも絵に描いた餅でも無く食える程度になり、会員数も比例して5,000名を超え、利用者は再入会が多く減ることなく増え続けています。

きっかけは37年前に蒸発した父親逝去の一報が八王子裁判所から届いた事でしたが、父親だから息子の持つ本質や資質を活かせる道へと導いてくれたのかもしれません。

信仰ある人達は誰かの思考を参考にした生き方をするのに対し、無信仰者の自分は『自分の資質に合った生き方をする』のだから『無信仰という名の信仰』なのだろう。

参考になるか分りませんが、僕自身が無理せず続く生きる指針は以下の通りです

・見栄、世間体、建前無用で我慢もしない
・食う事より支援家族の生活が最優先
・目指す道が無ければ切り拓けばいい
・本気で支援できる対象者以外は受けない
・365日24時間無休でも続けられること
・日々楽しいと感じる生き様が絶対条件

聖人君子でもなければ嫌な人の支援をしたいと思う人はいないだろう。凡人の僕は言うに及ばない。だから心身、特に精神的な無理をせず、良い人になる必要もなく、人助けでもなく、自己満足で良い。

自分の持てる時間、体力、気力、能力の全てを駆使して対象家族にとって最善と思える言動と施行とアドバイスをした結果、家族が喜んでくれたら自己満足して嬉しくなるから毎日が楽しいものになる。

元が軟弱で坊ちゃん育ちだから利用家族の都合で追われる日々くらいが丁度いい。老人と呼ばれる年代になって尚、頼ってくれる他人が数千人いるのだから生き甲斐にもなる。

分り難いかもしれませんが、これが僕の生きる指針であり信仰なのだろう。

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