僕の年代になれば当然かもしれませんけど、葬儀支援開始から10年後を振り返ると、すでに『見栄』は張っておらず気づけば人生で最大で最善の転換期だった気がします。
見栄を張らなくなった最大要因は『自分に対する自信』ではないでしょうか、何が自信に繋がったのだろうかと考えると、弱者中心の葬儀支援活動しか思いつきません。
見栄を張り続けた過去
稼業倒産後の母親から何度となく聞かされた過去の栄光に執着する言葉、いかに執着が虚しく自分を苦しめるか気づかされ『人は執着を捨てれば楽に生きられる』を座右の銘として尚、何処か見栄を張り続ける自分がいた事に気づいたのもこの10年です。
容姿、服飾品の外見、車両、時計、バッグなどの所有物と、発言にすら見栄を張る人生は52才まで続き、葬儀支援活動を始めて10年くらいから、ようやく見栄があると気づかされたようです。
それまでの数十年、金が無い時期だけでなく、そこそこ金のある時期も含め空元気のような張りぼての見栄と世間体を気にしながら生きてたのが今なってみると分かる。
経営者の人達に良く「良い所に目を付けたねぇ、全国規模の会社にも成れるね」と言われましたが、その方向で事業を進めていたら金持ちには成れても『人生の本質』に辿り着く事は出来なかったでしょうから『お金』の代わりに『心穏やか生きる術』を得られた気がする。
最も「お金が全て」と考える人、社会的地位、名誉、愛情など価値観は様々で良し悪しの問題でなく、あくまで個人の価値観なので強要するつもりはありません。
自信とは「生き方(生き様)」だと知る
世間では金持ちを成功者と呼び、祖父からも「金があればどんな馬鹿でも旦那様、どんなに優秀でも金が無ければあの野郎と言われるんだよ」と5~6才の頃に聞かされ、「お金」が人を評価する世の中である事は幼少期から教えられてきました。
それが世の中であるなら――、と「お金」と「社会的地位」を求めた人生は35才で年収12,00万円、代表取締役となり当時の市長や名士の人達とアメリカ・イタリアなどにも行かせて貰ったり、1人¥15,000~の料亭、各種パーティも何度となく参加したけど楽しいと思った事は無かった。
ホテルの婚礼美粧中心とした美容業経営者は20年ほど続けましたが不完全燃焼のまま、ところが突然降って湧いたように葬儀支援事業が始まると、4年間も食えなくても諦めなかったという事は、何処か惹かれるものがあったはずですが、この時点では具体的に分かりませんでした。
その理由とは、、今現在も続けてる最大理由でもある『あんしんサポートがあるから安心して居られる』会員さんのこの言葉が全てなんだと思う。
他人は分かりませんが僕らは『誰かに必要とされてる実感=生き甲斐になってる』のでしょう。それは高給、高級車、ブランド品では得られない独特の満足感なのは間違いありません。
お金の為に頭を下げたり媚びることは嫌いだから、商人育ちでありながら商人には向いてません。でも他人に頼られ役に立ちつつ、誰が見ても聞いても儲からないと思われるのは、自尊心を高めるのか自信と喜びが得られるから変な奴と言われても否定できません。
この辺りの感覚は理解できる人には出来るけど、理解できない人にも全く理解できない感情でしょう。千明も「人生の中で今が最も胸を張って生きています」と言いますから同じ思いだろう。
最終的には理念の反し胸のつかえとなっていた『高額な布施を要求する菩提寺の葬式依頼は受けない』の明言をしたが幸い会員数は減らず事業も存続できてます。
虚勢と自信の違い
かつて自信と思ってきた大半は虚勢であったと気づき、本物の自信とは「金」「地位」「容姿」でなく『自分の生き様』であると知れたのは大きい。
やればやるほど赤字が増えるとは支援対象者への内容充実、限界を定めず突き進んできた17年は大きな自信と誇り、だから無休で24時間対応の薄給でも不満なく続けられる『本物の自信』とは「unbelievable」であり「amazing」ですね。
コメント