七夕の過去に戻ってみる

我想う支援日誌
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7月7日は七夕ですが、前橋の七夕まつりは2年中止のようです。

七夕=夏という印象がありましたが、今年はまだ夏でなく梅雨という感じが強いです。

子供の頃は隣接する伊勢崎市で育ち本町通りと呼ばれるメインストリートが歩行者天国となり、ボーイスカウトが道路中央でロープを持って一方通行にしてた。

500mほどの道の両側はビッシリ露店が並び、各商店が作成した七夕飾りの竹竿が両側から道路中央に突き出て色とりどりの飾りが垂れ下がっていた。

昼間はさほど混雑してないが、夕方過ぎになると浴衣を着た人達や笑顔の家族連れで賑わっていた。

お小遣いを貰って焼きそば、綿菓子、ハッカパイプ、とにかく楽しい2日間だったのを覚えている。

ボーイスカウトに入ってからは道路の真ん中でロープ持ち、数年後は警察本部テント内で無線か移動無線機を持って歩き回っていた。

当時を振り返ると、何処の家でも三世代が同居して一部屋で5人、6人が一緒に寝ているのも決して珍しく無かった気がする。

僕が育った町内は子供が多く子供会行事が盛んで鼓笛隊まである珍しい町内で、子供会で上毛カルタの県大会にも行き中学一年生の時に優勝経験もある。

引率してくれたのは母方の叔父さんだったがすでに亡くなっている。滅多に会う事は無かったが会うと「俺が優勝させた」と自慢してたが、毎日のように練習に付き添い、自腹でうどんを御馳走してくれてたのだからその通りだろう。

小さな頃は近所の子達が「遊ぼう」と来てくれたが、その一人は必ず『味噌のおにぎりと漬物一本』を持って来るが、それを見ると同じものが欲しくなる。

商売をしてたから叔母さんに「僕もおにぎり作ってちょうだい」と言うと、作ってくれるのは海苔を撒いたおにぎりと、切って皿に乗った漬物――、

「そうじゃなくてぇ、お味噌のおにぎりと、茄子の漬物一本そのままだよ」と何度も言ったのだろう。大人に成って久しぶりで叔母さんに逢った時言われた。

「利之は味噌のおにぎりが大好きだもんね」

始めは意味が分からなかったが、よく考えてみると子供の頃の事を言われてると分った。

その叔母さんも十数年前に旅立った。

そんな子供だった僕が今では人生の終盤に入ってるのだから時の流れを感じる。

また昔は今より経済的には貧しかっただろうが、心は今より豊かではと感じる。

若い頃に老人が「昔は良かったぁ」との言葉を聞いて内心『貧しい時代の何処が良いんだ』と思っていたが今になると納得する自分がいる。

それは時代だけでなく『人の繋がり』という面が大きいのだと思う

祖父母、両親、姉妹、叔父叔母、働いてくれてた人達、友人などなど沢山の人達に支えられ、教えられ、助けられてきたのは間違いない。

自分が思い出す人達は僕に対し金や損得勘定で何かをしてくれた訳では無い、だから心は豊かだったと感じるのだろう。

そんな心の豊かさを少しでも持ち続けていたいと思う。

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