ポジティブ思考

生き方
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底を見た人は二種に分岐する

前職の美容業社長時代も含めると、少なくとも35年前から僕を知る人達や葬儀支援してきた家族からも言われ続けてる1つが『いつも前向きですねぇいつでもポジティブですね』の言葉、自分は普通ですから何処がポジティブだと思わせるのだろうかを考えてみます。

これは僕の感覚なので絶対とは言えず多分なんだけど、、、同一人物の中で「ボジティブ思考」と「ネガティブ思考」は混在せず、もし混在する人がいたら根はネガティブ思考の人だと思う。

人生ずっと順風満帆じゅんぷうまんぱんの人は少なく事故、病気、僕のように稼業倒産で辛酸をなめたり、様々な試練や苦悩があるのが人生、そして、そこがポジティブとネガティブの分岐点になるのだと思う。

誰もが知ることわざに『可愛い子には旅をさせよ』があり、同義語の『獅子は我が子を千尋せんじんの谷に落とす』を親が本当の意味で実践させるのは難しく1年~数年他社に勤務させる程度の事は良くある。されど『必ず帰れる』前提なら我慢できるので本当の意味の実践には成らない。

戻れる保証の無い、終わりのない、その人にとってのどん底を経験しない限り成し得ないことわざだろうし、結果は挫折したまま人生に背を向ける人と、這い上がる人にハッキリ分岐された結果が「ポジティブ」と「ネガティブ」思考の違いになるんだろう。

『可愛い子は旅をさせよ』子供が本当に可愛いなら、甘やかさずに世の中の辛さや困難な経験をさせるべき
『獅子は我が子を千尋の谷に落とす』獅子は子を生むと谷底に突き落とし、生き残った子供だけを育てるという俗説から、自分の子供に試練を与えてその能力を試し立派な人間に育てようとすること
ネガティブ思考の特徴

僕の知るネガティブ思考の特徴は、自分の人生がままならない事も含め全ての責任が自分の以外の他者や世間や時世にあると発言をする傾向が強く、親が悪い、友人が悪い、世間が悪い、会社が自分を評価しない等々で自分は悪くないと言ってる気がする。

最近では猟友会と揉めた町議会副会長の発言「僕は悪くないもん」が有名ですが、町民の不安や命より自分の面子が大事なのだろうが、この程度の人間が町議の町民はたまったものではないが、これもネガティブ思考人間の典型的な例と言えるだろう。

正直なところネガティブ思考の無い人間には理解も納得もできまず、これ以上は憶測の発言でしかありませんので記事として書けません。

ポジティブ思考の特徴

誰も助けてはくれない、全て自分で何とかしない限り明るい未来は無いと悟った人ならポジティブ思考になる確率は高いはず、道端で転んだ幼児は周囲に助けてくれる人がいないと分かれば、転んだまま泣いてる事はなく自分で起き上がって歩くのと一緒です。

誰もが経験している事で言えば、学校の部活、勉強などで自分より優れた人達が居なくなれば良いと考えるか、彼らより優れた選手になるにはどうすべきかと考え努力するかの違いです。

簡単に言うと「ならどうすれば良い!?」この発想をする人か否かの違いだけなのですが、このちょっとした違いの差は10年、20年後になると大差になっているわけです。

「ならどうすれば良い!?」

葬儀支援を始めた数年後に依頼された都内での講演会で「是非当地域でも始めたい」と言いつつ、結局は赤字になるから出来ないと立ち上がらなかった人達と、あんしんサポートの違いは「ならどうすれば良い!?」の発想の有無、何事に於いても諦めた瞬間「挫折」が決定する。

しかし何度失敗しても諦めない人は単なる過程でしかないので、例え時間が掛かったとしても挫折する事はないので周囲からしても自信満々と思われたり、特殊な人間と言われたりもしますが、そんな人を特殊な人間であると評する人こそがネガティブ思考の人間だろうと思う。

ただひとつだけ言えるとすれば、赤字プランへの目標から始まった葬儀支援ですが、18年間事業を存続して我々も食ってきた事実があること「ならどうすれば良い!?」と考えられなかった人達は我々より充実した人生になっているのでしょうか?

ちなみに僕の周囲にいる人達の中にネガティブ思考の人は存在してません。類は友を呼ぶなのか一緒には居ずらくなるでしょうからね。

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